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 今季から、米大リーグではワンポイント禁止のルールを適用する。メジャーの規則改正をNPBは1年遅れで採用しており、21年シーズンから新ルール発足の可能性は十分だ。“松井キラー”として名をはせた元阪神の遠山昭治氏(現浪速高監督、52)、巨人・阿部封じに執念を見せた元中日の小林正人氏(現中日広報、39)がスポーツ報知の取材に応じ、現役時代を振り返るとともに、そろってルール改正に異と唱えた。(取材・構成=長尾隆広、中村晃大)

 うれしそうに懐かしんだ。現役時代、“松井キラー”として名をはせた遠山氏は「(当時は)嫌でしたよ。重圧をかけられてるようなものじゃないですか。けど、今こうやってあるのも松井秀喜のお陰ですし、やっぱりいい瞬間でしたよね」とほほ笑んだ。

 左サイドからのシュートで内角を攻め、松井とは通算39打数10安打。特に99年は13打数無安打に封じた。鮮明に覚えているのは同年6月13日の巨人戦(甲子園)。7回2死三塁で石井浩郎を敬遠し、背番号55との勝負を選択した。結果は空振り三振。「あえて敬遠して松井秀喜というのは松井秀喜も経験したことないと思うし、周りからの歓声というのは印象深いです」と振り返った。

 インコースは有効な武器であると同時に、常に長打のリスクがつきまとう。だが、ロッテを戦力外となり、98年に阪神に復帰した遠山氏に失うものはなかった。「僕はテスト上がりで、向こうは億を稼いでいた打者。当ててもいいやと割り切るような感じですよね。当てたらどうしようでは必ず打たれる。ボールは正直ですから」。強気な姿勢で押し切った。

 ワンポイント救援が禁止になれば、打者の左右に合わせて一塁とマウンドを行き来する“遠山葛西スペシャル”のような名場面、名勝負も少なくなる。「いろんな個性が出てきて、それに魅了される人がいる。みんな同じではおもしろくないと思うんです。タイプが幅広いのが日本。全部米国に沿ってやるのはどうかなと。まして世界でも日本の野球は通用してるんですから」。希代の左殺しは、個の独自性を訴えた。(中村 晃大)



 ◆元阪神・遠山昭治氏の一問一答

 ―ワンポイント継投が米大リーグで廃止に。NPBでも来季以降の導入検討されているが、そのことについてはどう考えているか

 「日本には日本の野球のやり方があると思います。メジャーにはメジャーのやり方があるし、何でもかんでもアメリカに合わせないでいいのかなと思いますよね。まして世界でも日本の野球は通用してるんですから。全部が全部アメリカに沿ってやるっていうのもどうかなと。体格的にも力的に違いますしね。もう少し落ち着いてというか、見て決めてもいいのかなと思いますよね。メジャーがやったから次の年やらないといけないというのは、それはちょっと違うんじゃないかと思いますね。それぞれには性格があると思うんですよ、タイプが。そういうタイプが幅広いのが日本だと思うし、何だかんだ言っても力勝負っていうのがメジャーだと思うんで。そこはもう根本的に違うじゃないですか。いろいろな考え方があると思いますけど、僕はそうかなと思います。別に急に色をなくさなくてもいいと思うし。12球団の監督がメジャーのマネをしてやるのいいと思うんです。監督の色ですから。それでチームが変わったりすればそれはそれでOKなんです。新しい芽がどんどん出てくる、そして変化する。それが今の野球です。社会でもそうですけど、そういう感じでいいんじゃないですかね。アメリカがこうだからじ日本もしようかというのは…うーんって思います」

 ―遠山VS松井のようなスペシャルな対戦が見られなくなってしまう思うとファンも寂しい

 「でも毎年毎年、形になるっていう対戦はあると思うんですよね。そこはもう僕は消えないと思うんですよ。こういう形は途絶えないと思いますけどね。ただ僕らもワンポイントでやってましたけど、そりゃあ3人投げたいと思ってやってましたからね(笑い)。(春季)キャンプから1人で…それはないですよ。だからといって練習時間1人分でいいのかといったら違いますしね。しっかり先発で150(球)投げてもいけるような形のキャンプを経て、そこに気持ちを持っていくような形をオープン戦からやって。そういうのも個々で違うんでね。だから12球団の中でいろんな個性が出てきて、それに魅了される人がいる。みんな同じではおもしろくないと思うんです」

 ―対松井は特別な感情があったのか

 「やっぱりいい瞬間というか、いい2年間でしたよね、松井秀喜との対戦というのは。時間がたてば、やっぱり良かったなと。みなさんが言ってくれるから僕もそういう形があるし、周りの人たちも覚えてくれているんで。そういう意味では本当いい年でいい選手に巡り合って、いろいろな対戦ができて、そういうものがあって今があるっていうことを感謝して今もやってますけどね」

 ―当時は周囲に“松井キラー”と呼ばれて嫌な気持ちもあった

 「やっぱ嫌ですよ。だってプレッシャーかけられてるようなもんじゃないですか(笑い)。その時はそうですけど、1年2年と過ぎた時には良かったなと思いますね。だから普通に松井秀喜がメジャーに行った時にいちファンとして応援してましたしね。やっぱすごいなという感じでね。ええ選手おったなって思いますからね」

 ―引退後に松井さんと話したことは

 「いやいや、それはないですよ。やっぱり向こうも嫌でしょうし」

 ―こう投げれば打ち取れる確率が高かったというようなことはあったのか

 「それはありますけどね、人間だから少々のミスはありますよ。ただ向こうも考えて、だからおもしろいんだと思いますけどね。探り合いじゃないけど。でもそこで機械じゃないですから必ずしもズレが出てくるじゃないですか。それを捉えられるか、捉えられないかの違いなんでね。そこが勝負の意図というかおもしろいところじゃないですかね。だから絶対というのはないんですよ。やっぱり不安も期待もどうやろなっていうのもあるし、でも(捕手の)矢野からのサインが決まって投げる時は『よし、もう打たれない』というかそういうふうな気持ちでないと、やっぱり抑えられるボールもヒットになりますんで。だからそこは思って投げてました」

 ―松井との対戦で印象に残っている対戦は

 「やっぱり最初のドームでの初対戦と、甲子園でのバッター石井を敬遠で歩かせての松井ですよね。そこが一番ポイントですよね。ポイントというか自分の印象に残ってますよね。松井秀喜の前であえて敬遠して松井秀喜というのは松井秀喜も経験したことないと思うし、だからそういう部分での周りからの声とか歓声というのはやっぱり印象深いですよね」

 ―当時は松井以外にも高橋由、広島・前田、金本ら左の好打者が多くいたが、その中で意識していた相手は

 「僕は立浪(中日)が嫌だったですね」

 ―松井と立浪ではタイプが違う

 「全く違いますし、読みにくいという打者ですね。形にとらわれないというか、立浪という打者は中距離なんでね。ある程度追い込まれたら広角に打つ打者なんで。僕は初球を大事にするんですけど、初球の入りからそうですけど全く読みづらかった打者ですね」

 ―松井とは違うやりにくさがあった

 「僕らは打ち取ってナンボなんでね。だからそういう意味では読みづらかったですね」

 ―7回や8回を任されることの多かった99~01年頃は主に何回から準備して、ブルペンでは何球くらい投げていたのか

 「ある程度若い選手であれば、最初から(ブルペンに)いってます。あとはもう状況ですね。基本的には3イニングくらいまでは先発、あまりにも調子が悪かったりする時には開始と同時にキャッチボールという形にはしてましたけどね。僕の場合は(出番が)7、8回であれば、5回まではロッカーの方でマッサージとか準備運動とかをしつつ、テレビを見て常に状況は見ながら動いてました」

 ―肩ができるのには個人差がある

 「自分は20球程度キャッチボールでつくってから、(捕手が)座って10球、15球くらいで様子を見るという形でしたね」

 ―連投が続くと調整は変わるのか

 「僕は連投の方がいいんです。もう2日くらい空いたらちょっと…っていう感じでしたね。だからよくいう『肩が軽くなる』とか、4日、5日と空いたらそうかもしれませんけどね」

 ―救援投手は打たれた翌日に登板する日もあるが、気持ちの切り替え方はどうしていたのか

 「それは自然とつくんでしょうけど、僕の場合は切り替えというか、今で言ったら語弊があるかもしれませんけど、ご飯に行って飲んでというのも一つのリフレッシュというかね。まあ、抑えても打たれても行くんですけど(笑い)。今の球界ではあったりなかったりだと思うんですけど、僕らはもう昔の人。打たれたら行こか、抑えても行こかと(笑い)。人によって極端に変わると思います」

 ―1年目に先発として8勝。先発への未練はなかったのか

 「ないですね。自分のプライドというか、やりたいという気持ちは多少持たないといけないかもしれないですけど、僕の場合は先発、中継ぎ、抑えと役割があると思うんでね。だから(中継ぎの役割を)任されというかそういうところでの考え方がありましたね」

 ―阪神復帰2年目の99年に野村監督が就任。それまでは左打者の内角を攻めるという考えはあまりなかった

 「やっぱりアウトサイド、原点というか、それが基本ですから。インコースは(長打の)リスクがあるじゃないですか。ただ、リスクを和らげるというか、考え方によっては武器になるよっていう教えはミーティングから『野村の考え』じゃないですけど。そういうところからの流れじゃないですかね。僕も野球観が変わりました。絶対ってものがないんでね、野球には。野球に対しての(考えの)改めというか、投球に対しての改めというのができました」

 ―今年亡くなった野村監督への思い

 「もうありがとうございましたって感じですよね。プロに入って30過ぎてから、また野球を一から教えてくださった監督ですから。野村さんと縁があって野球をやらせてもらって、野球の『や』の字から教えてもらいました。ものすごくプラスになったというか、勉強になった監督さんなんで感謝しています」

 ―その野村監督が生み出した“遠山葛西スペシャル”。打者の左右に合わせて一塁からマウンドに戻る難しさは

 「しんどかったですよ(笑い)。一塁にいてもゲームには参加してるんですけど、自分の中でどこかしら抜きたいというかね、スイッチのオンとオフをしたいというのがありましたから。それは葛西も同様に言ってました。やっぱりしんどいと思いますよ」

 ―一塁の守備も普通の野手とは気持ちが違う

 「当然そうですよ。僕もロッテで野手をやった時にファーストを守っていましたし、葛西もうまいんですよね。少々守らせても、はじかないとか送球も捕るやろうというので多分やったと思うんですけどね」

 ―一塁を守ってる時も次の打者との対戦を考えていたのか

 「いや、そこは考えないですね。投手交代というかコールがあるところの何分間でね。まあ、ある程度のデータは(頭の中に)入ってるんで」

 ―ワンポイントでの登板は最初からこの打者だけと言われていくのか

 「そういう言葉はかけられないです。選手というのは言われるまで行くんでね。まず目の前の打者。状況によってポンポンと打ち取ったらそのままいったりする。『この打者だけだよ』っていうのはないですね」

 ―打者1人で仕事が終わるのは集中しやすいのか、それともより重圧がかかるのか

 「走者が出た状況でいったら自分の走者という感じで投げるんでね。そういうところでの使命感というかプレッシャーはありましたよ。でも、打たれたらもう前の投手の走者だし、わしには関係ないわという感じのそういう切り替えも大事ですよ(笑い)」

 ―走者をかえせば前に投げていた投手の防御率が上がる。逆に自分が走者を残して降板することもある

 「そこはもうチームですよ。そんなの一つ一つ言ってたらチームとして戦えないですよ。会社でもそうですし、誰かがミスしたら誰かがカバーするのがチーム。それはもうどの分野でもあるんじゃないですかね」

 ◆遠山 昭治(とおやま・しょうじ)1967年7月21日、熊本県生まれ。52歳。八代一高(熊本・現秀岳館高)から85年ドラフト1位で阪神入団。1年目に8勝を挙げたが、90年にトレードでロッテ移籍。95年に野手に転向するも、97年オフに戦力外。98年にテスト入団で復帰した阪神で投手に再転向した。02年に現役引退。通算393試合に登板し、16勝22敗5セーブ、防御率4・38。19年11月から浪速高(大阪)監督。178センチ、91キロ。左投左打。

報知新聞社




ノムさん追悼イベントの一環で、松井✕遠山の対談が実現せんかな。 元阪神の遠山昭治氏、ワンポイント廃止の採用に反対「みんな同じではおもしろくない」 現役時代は“松井キラー”の左殺し(スポーツ報知)  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200420-04190221-sph-base 



ワンポイントがなくなると プロフェッショナルな投手がいなくなってしまって面白くなくなる。 元阪神の遠山昭治氏、ワンポイント廃止の採用に反対「みんな同じではおもしろくない」 現役時代は“松井キラー”の左殺し(スポーツ報知) #Yahooニュース  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200420-04190221-sph-base 




元阪神の遠山昭治氏、ワンポイント廃止の採用に反対「みんな同じではおもしろくない」 現役時代は“松井キラー”の左殺し  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200420-04190221-sph-base  “当時は松井以外にも高橋由、広島・前田、金本ら左の好打者が多くいたが、その中で意識していた相手は 「僕は立浪(中日)が嫌だったですね」”



遠山・葛西スペシャル 暗黒時代の阪神において2000年に野村監督がとった苦肉の策 左のサイドスロー遠山奬志と右のアンダースロー葛西稔を、交互に登板させる変則的なワンポイント継投のこと どちらかが一塁を守ることによって遠山-葛西-遠山-葛西という継投に #野球ネタ



新庄がいる頃の暗黒阪神は好きだった。阪神ノムさんを見ると、遠山→葛西→遠山→葛西を思い出す



@polarismeum 記憶に残る名勝負が生まれてるので自分としてはワンポイント結構好きですねー。遠山松井、加賀バレンティン、小林正阿部みたいな。 加賀の引退試合中継見てたんですが、ベイの色んな人が出てくる中、「加賀、バレンティンだ」と出てきた時は泣いちゃいましたしベイすげー!ってなりましたもんw



報知📰 ⚾🏟️ワンポイント禁止?に対して職人たちの主張が面白い🐰 阿部キラーの中日の小林氏。 昨年末、都内で偶然阿部ちゃんとあって『こいつ阿部キラーって呼ばれてるんだよ』と紹介されて嬉しかったとある🍀🌈 松井キラーの遠山氏の意見も成る程という感じだった💡



過去にはこのような名勝負があった 村山vs長嶋 江夏vs王 掛布vs江川 遠山vs松井 これからはどんな名勝負を見せてくれるのか楽しみだ



@YAMATORA1985 平成のもありますか?



@YAMATORA1985 金本川上は?



@YAMATORA1985 村山がルーキーの江夏を読売が打撃練習してるところに連れてって 俺はこっち(長嶋) お前はあっち(王)を指差した話大好きです。 チームが優勝できるように。が最優先で今はさすがにそんなはっきりとしたライバル関係ないですもんね… 井上と山下が良いライバル関係になるといいですね。


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