1: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/01/06(日) 13:35:28.49 ID:CAP_USER9
1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。
そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。

真弓明信【後編】日本一イヤーに自己最多の34本塁打/プロ野球1980年代の名選手

阪神・真弓明信
3ポジションでベストナイン

阪神が21年ぶりのリーグ優勝、2リーグ制となって初の日本一に輝き、猛虎フィーバーに沸いた1985年。
トリプルスリーを目標に掲げたリードオフマンの真弓明信だったが、開幕前に右翼へとコンバートされる。
慣れないポジションを守ることでバットが湿るケースも少なくないが、動揺はなかった。

「打撃を生かすためのコンバートと思えば、どうってことないさ」

むしろ、遊撃手や二塁手とは違った視点で試合を見たことで、野球観が広がり、これが打撃の向上にもつながった。
盗塁は激減して、目標の30盗塁には遠く及ばなかったが、それほど走る必要性がなかったためとも言えそうだ。

高校時代からの親友(腐れ縁?)でもあり、大洋へ移籍していた若菜嘉晴との本塁クロスプレーで左の肋骨を骨折して1カ月ほど離脱しながらも、
最終的には自己最多の34本塁打、84打点に加え、リーグ5位の打率.322。外野のベストナインに選ばれたが、
遊撃、二塁に続く受賞で、3ポジションでベストナインに選ばれたのは二塁、一塁、三塁で受賞したロッテの落合博満に続くプロ野球2人目、内野と外野を合わせての3ポジションでは初となる快挙だった。

10月16日のヤクルト戦(神宮)で阪神の優勝が決定。三番からバース、掛布雅之、岡田彰布と並ぶクリーンアップ全員も30本塁打を超えていたが、一番から破壊力を繰り出す打線は猛威を振るい続けた。
ちなみに、翌17日の同カードには二日酔いで出場。もちろん一番打者としての出場だったが、始球式の少年が投げた球を思わず打ってしまう珍事もあった。
ただ、その後の西武との日本シリーズでも攻守にペナントレースの勢いは変わらず。打率.360、2本塁打で日本一に貢献して、優秀選手にも選ばれている。

しかし、すぐに阪神は斜陽となる。88年には2度目の全試合出場も、シーズン途中にバースが、オフには掛布も去った。
89年からは腰やヒザの故障も続き、出場機会を減らしていく。
ただ、代打がメーンになってからも勝負強さは健在だった。
94年には、わずか17安打ながら30打点。6月1日の広島戦(甲子園)では代打逆転満塁本塁打を放って、

「野球の神様が打たせてくれた」

と声を弾ませた。だが、95年オフに戦力外通告。現役続行を希望して他球団のオファーを待ったが、かなわず。現役生活23年、42歳でユニフォームを脱いだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190106-00000003-baseballo-base
1/6(日) 11:05配信

https://www.youtube.com/watch?v=vTZh5j2LJ8k


【阪神ホームラン集】史上最強のトップバッター★真弓明信

https://www.youtube.com/watch?v=0Loun989SO0


真弓明信 33号 同点ソロホームラン

https://www.youtube.com/watch?v=T-XgsanITH8


日本シリーズ真弓

https://www.youtube.com/watch?v=51eeF2s7gIw


【2012.11.18】 真弓 明信 応援歌 【阪神OB×読売OB】

no title


http://npb.jp/bis/players/11013847.html
成績

引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1546749328/

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