1991年のアニメ映画「機動戦士ガンダムF91」の主役シーブック・アノー役などで知られる声優、ナレーターの辻谷耕史(つじたに・こうじ、本名やすふみ)さんが17日、脳梗塞のため都内で亡くなったことが23日、分かった。56歳だった。

辻谷さんは、元阪神タイガースの和田豊氏(56)と千葉県立我孫子高の同級生で、和田氏が11年10月に阪神の監督に就任した際、日刊スポーツの取材に応じ、和田氏との思い出を語っていた。

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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181023-00370807-nksports-ent


当時の紙面を振り返る。

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<2011年10月31日付、日刊スポーツ大阪版紙面掲載>

最初に和田を認識したのは、我孫子高1年時に野球部が甲子園に初出場したときで、和田は1年でレギュラーで出ていた。同じ学年に和田っていうのがいるんだと意識しました。

高校の行事で全クラス対抗合唱コンクールがあって、僕は1年のときに指揮をして優勝したんですよ。翌年に僕が2年H組で、和田はG組だったんですけど、和田から「今年はうちが優勝するから」って宣言されました。僕も彼も指揮をして同点優勝。「来年が勝負だ。絶対にお前の3連覇は阻止する」という話になったんですが、3年で同じE組になっちゃった。「じゃ、2人でやろう」ということになり和田が課題曲、僕が自由曲の指揮をしてダントツ。3年のときはすごく仲が良かったですね。

高校の文化祭の演劇で、一緒に舞台に立ってるんですよ。多分、あいつは一生に1回だと思うんだけど(笑い)。「ロミオとジュリエット」をやって、彼はロミオの友人役、僕はジュリエットのお父さん役か何かでした。最初は僕が演出するという話だったんですけど、和田が「戦いのシーン、殺陣をオレがやる」と言って、結局2人で演出したのを覚えています。

日大からスポーツ推薦の話が来たときに、和田から相談を受けました。「その後プロになれるかどうか分からないし、自分は体が小さいからプロでは通用しないんじゃないか」と言っていました。僕は高校を卒業して芝居をすると決めていて「和田の人生なんだから、自分の思うように決めた方がいいんじゃない」って言いました。結果的に、彼は日大を選んで良かったんだと思います。

彼が阪神に入団した最初の年に、劇団の大阪公演があって「甲子園で見られないか」と電話したらチケットを取ってくれました。甲子園近くの喫茶店でビールでも飲もうかと。「辻谷、3年待ってくれ。平田さんを超えるのは大変だ。簡単には超えられない。3年たったら必ずレギュラー取るから」と言って3年後に有言実行したんです。

彼は高校時代からスタイルを変えていないし、貫いている。人間的な大きさを持っていて、人から信頼される人でした。非常に堅実な物の考え方をして、くじけない。後々、監督になると思っていました。その後、ほとんど連絡も取っていませんが、もし会ったら「辻谷、3年待ってくれ。何とかするから」と言う気がするんですよね。最終的に優勝するのが目標でしょうが、やってくれるだろうし、やれ! と言いたい。


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