とらほー速報

プロ野球・主に阪神タイガースがメインです。 オープン2ちゃんねるやツイッターやニュースサイトよりまとめてます

    よこたそ

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     脳腫瘍からの復活を目指していた阪神・横田慎太郎外野手(24)が22日、西宮市内の球団事務所で引退会見を開いた。2度の手術を経た視力低下を決断の大きな理由に挙げ、闘病を終えた17年9月から実戦復帰を目指した約2年間には知られざる苦闘があった。悔いなしと振り返った6年間のプロ野球人生。全力プレーを信条とする男らしい引き際だった。
     表情に未練や後悔は見当たらなかった。124番のユニホームの下には24番のアンダーシャツを着用。横田は真っすぐ前を向いて言葉をつないだ。

     「自分で決めた決断なので、全く後悔はありません」
     引退を決めたのは数日前で、理由に挙げたのは厳しい後遺症だった。「やっぱり一番に目の方が大きい。自分で打った打球も全く見えず、ピッチャーに投げてもらった球も二重に見えたり、守備の際にもボールが二重で飛んで来たり。来シーズンこれを続けても、ちょっと厳しいかなと思い決断した」

     光を失った状態で苦闘は始まった。頭に2度メスを入れ、2度目は約18時間に及ぶ大手術。ベッドで目覚めた瞬間、絶望が待っていた。「最初は目の前が真っ暗で何も見えなかった。もう野球は無理だと思った。少しずつ回復しましたけど、テレビもずっと二重に見えていた」。あまりにも酷な状態で復帰への道を歩んできた。

     大好きなグラウンドでバットを振り、白球を追いかければ気持ちは晴れたが、孤独で辛い時間の方が一日の大半を占めた。夜中、目が覚めることが当たり前になったのは何も最近の話ではない。

     「何で目が見えないんだろうって朝までずっと悩んで考えて…。気づいたら枕が汗でびちゃびちゃになって。これが来年も続くと思うと、きつかった。このままだと、別の病気になりそうで…。またいろんな人に迷惑をかける」。心が体に限界だと告げていた。

     それでも、野球人生の“影”だとは思っていない。「(16年の)開幕スタメンもそうですけど、悔いなく、自分の中でもがいて、苦しんで、いろんなことを思って野球できたこの2年半はいい思い出」。短く太い6年間を振り返る表情は力強い。「試合にも出ていないのにもかかわらずたくさんの方々が僕を応援してくれて。すごい大きかった」と支えになった声援への感謝も忘れなかった。
     「小さい頃から野球しかしてこず、最後、こうやって病気になってユニホームは脱ぎますが、プロ野球という舞台で野球ができて、しかも、阪神タイガースという素晴らしい球団で野球をやらせてもらって本当に感謝の言葉しかない」。立ち止まることなく駆け抜けた旅に忘れ物はない。
    (遠藤 礼)

     ◆横田 慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身の24歳。鹿児島実から13年のドラフト2位で阪神入団。3年目の16年に1軍デビュー。翌17年2月に脳腫瘍が判明。入院、治療を経て8月下旬に寛解。同年オフに育成選手となる。1軍戦出場は16年のみで38試合、打率・190、4打点、4盗塁。1メートル87、94キロ。左投げ左打ち。

     ▼阪神・横田の歩み
     ★13年10月24日 ドラフト2位指名で鹿児島実から阪神入り。
     ★12月9日 新人入団会見。同年引退の桧山の背番号「24」を引き継ぎ「自分で(色を)変えていきたい」と決意。
     ★16年3月25日 中日戦(京セラドーム)3年目で待望のデビュー。「2番・中堅」で4打数無安打。シーズン38試合で打率・190、4打点、4盗塁。
     ★17年2月11日 沖縄・宜野座キャンプ中に頭痛の症状が治まらず緊急帰阪。検査で「脳腫瘍」の診断も、非公表で入院、治療に専念。
     ★9月3日 脳腫瘍と、症状が消え安定した状態になる「寛解」(8月下旬)を公表。「甲子園で走り回る姿を見せたい」
     ★11月16日 回復専念のため、育成選手契約に変更。背番号24は空き番号。
     ★18年4月27日 ウエスタン広島戦(甲子園)試合前、寛解後初のシートノックに参加。
     ★11月15日 育成選手で再契約。「1日でも早く24番を取り返す」




    🐯🐯🐯横田 慎太郎🐯🐯🐯 引退の理由について「自分で決めた決断なので、全く後悔はありません。一番は目が大きいです。自分の打った打球も全く見えず、投手の投げた球も二重に見えたり、守備の際もボールが二重で飛んできたり、来シーズンこれを続けても厳しいかなと思い決断しました」 https://t.co/RsU0FoaUQb



    「全く後悔はありません」と言い切った横田選手は、とても立派です。 タイガース命‼️な次男が、何度も「横田かわいそう..」「有能なホームランバッターやのに..」「野球大好きやのに..」「俺、横田めっちゃ好きやねんで」 ここまで聞いて、こらえきれず涙が出てしまいました😭😫



    脳腫瘍からの復活を目指していた…阪神 横田が引退「後悔はありません」 https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/23/kiji/20190923s00001173091000c.html  赤松もそうだけど、疾患が原因なら却って未練は生まれないんじゃないかな 克服して復帰はそれで感動的ではあるけど…やっぱり人生の中では現役やめた後の方が長いし、生命にかかわるものだしね。



    後遺症はきつい、野球選手は無理だろうね。まだ若い、人生まだまだ、 がんばれ✊‼️ 脳腫瘍からの復活を目指していた…阪神 横田が引退「後悔はありません」― スポニチ Sponichi Annex 野球  https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/23/kiji/20190923s00001173091000c.html 


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    【横田に聞く】

     ――実戦復帰を目指してきた中で葛藤は

     「この1年半とても苦しかったですけど、自分が野球をやりたいと思ってきた決断なので全く悔いはありません」

     ――脳腫瘍と診断をされた当時は。

     「本当に頭が真っ白になって今後野球ができるか不安になりましたけど、これまでたくさんの方に支えられてここまで来られたので、本当にみなさんには心の底から感謝の気持ちしかありません」

     ――鳴尾浜球場ではファンに激励された。

     「やっぱり1日でも早く試合に出て(背番号)24番を取り返してくださいと言われた瞬間。自分もその気持ちでやっていた」

     ――1軍では109打席。一番印象に残っている打席は。

     「巨人の菅野投手の球というのは本当にすごいボールだなというのは今でも覚えています」

     ――今後は。

     「球団の方からも話をもらっていますけど、しっかりもう一回両親と考えてからにしたいと思っています」

     ――前向きな性格の原動力は。

     「病気をしてから病気と一緒に戦っていくというのはやっぱりマイナスの発言とかも絶対にダメだと思って、自分の中でもプラスに考えて絶対どうにかなる、その日は必ず来ると信じて今までやって来ました」

     ――視力低下が最大の理由。

     「1球もボールがきれいに見えなかったので。毎日苦しかったですし、これが来年も一緒だったら…もう本当につらかったので自分で(引退を)お願いしました」

     ――プロ野球人生を振り返ってみて。

     「最初の方は(試合に)出させてもらって、凄くうれしかったですけど、病気してからの野球人生の方が自分の中ではもがいて苦しんで、いつも何でボールが見えないんだろうと思いながら練習もしてましたし、この2年半の方が自分の中では印象が強いですね」

     ――同じ病気の人に夢を与えたいと言ってきた。

     「そこは今でも変わってないですし、これからも絶対変わることなく、今苦しんでいる方がたくさんいると思うので。そういう人たちにいい所は見せられなかったでしたが、これから何かしらの形で少しでもいい所を見せられるように、これからの人生頑張っていきたいと思います」




    🐯🐯🐯横田 慎太郎🐯🐯🐯 引退の理由について「自分で決めた決断なので、全く後悔はありません。一番は目が大きいです。自分の打った打球も全く見えず、投手の投げた球も二重に見えたり、守備の際もボールが二重で飛んできたり、来シーズンこれを続けても厳しいかなと思い決断しました」 https://t.co/RsU0FoaUQb



    【さらば阪神横田 24歳で引退】  https://yahoo.jp/snLRIm  脳腫瘍からの復帰を目指していた阪神・横田慎太郎が引退を表明。半年間の闘病後、「寛解」と診断されたものの、後遺症で球が二重に見え、打撃と守備に影響があった。「1球もボールがきれいに見えなかった」。



    @YahooNewsTopics つらいな。。



    » 24歳、阪神・横田が引退記者会見 脳腫瘍回復するも後遺症に苦しむ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190922-00000025-mai-base  ボールが二重に見えるって大変だったんだな。日常生活大丈夫なんかな?お疲れ様!



    横田も引退…ボールがまともに見えてなかったんだな…本当よく頑張ったよお疲れ様。 これからいい事がたくさんありますように。



    阪神 横田選手、24歳で野球引退… 脳腫瘍の後遺症で、ボールが二重に見える…辛いなぁ…



    ボールが二重に見えるなんて。これからの選手だったのに。悔しいだろうな。引退後もタイガースに関わってほしいな。 #hanshin #tigers #阪神 #タイガース #阪神タイガース ◇横田が引退会見で涙 脳腫瘍から復帰目指すも「球も二重に見え…」「厳しい」  https://www.daily.co.jp/tigers/2019/09/22/0012723220.shtml 


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     脳腫瘍からの実戦復帰を目指してきた阪神・横田慎太郎外野手(24)が22日、西宮市内で会見し、今季限りでの引退を表明した。矢野監督や同期入団の選手たちからは、ねぎらいや惜しむ声が相次いだ。

     矢野監督「俺が去年2軍監督の時、やれることを目いっぱいやって、グラウンドでは誰よりも声を出していた。悔しかったり、いろんな思いはあると思うけど、手本になるモノを見せてくれた。いつも感心して見ていた」

     岩貞(同期のドラフト1位)「復帰して1軍でやるというのを掲げてやっていたんですけど…。そのための努力をしている姿というのは尊敬すべきというか、自分たちもまねをしていかないといけない。同期みんな仲が良かったので、ユニホームを脱ぐのは寂しい気持ちです」

     陽川(同期の同3位)「正直、びっくりしました。ずっと頑張っている姿を見ていたんで…。でも、これからの人生の方が長いんで。今後も頑張ってほしいですね。まずはお疲れさまというところですね。ひとつの区切りとして」

     梅野(同期の同4位)「同じ九州から来て、大卒高卒は違うけど弟っぽい、かわいい後輩だった。同期で、同じ舞台(1軍)で戦えたことが1番の思い出。そういう戦いは、あの時にしかできなかったわけだから。一緒に戦えたのが1番の思い出です」

     岩崎(同期の同6位)「持ってるモノのすべてがいい選手だった。足も速くて打つことができる。非常に楽しみな選手だったと思います。今日話して『ありがとう』と伝えました」

     福留(同じ鹿児島県出身)「本人、家族が一番つらかったと思う。両親に感謝してね。ちゃんと『ありがとう、と言いなさい』と伝えました。彼は人が経験することのないぐらいの経験をしてここに立っている。そういう強さがある。どんな道に進もうと、僕ができる限りの応援をするし、かわいい後輩に変わりはない。手助けできることがあれば、してあげたいと思います。まずはゆっくりしてね、ここから先の人生の方が長いですから。ひとまずお疲れさまと伝えたいです」

     原口(自身は大腸がんから復活)「僕がリハビリしている時に、横田の一生懸命さっていうのは、誰もが見習うべきところだと思っていた。本人にとってすごく短かったと思いますけど、本当にお疲れさまという気持ち」

     北條(引退会見で花束の贈呈役を務める)「僕の1人目の後輩だったので、一緒にいる時間があったし。いろいろな思い出がある。リハビリをしっかりして、頑張っている姿を見ていた。僕は(当時)肩の脱臼をしていたので本当に励まされました。寮でごはん食べている時とか、そういう時間がすごく長かったので。ずっと一緒にいたっていう感覚です。(自分から切り出して)あいつの分まで頑張ります!」

     高山(16年の開幕戦では1、2番コンビを組む。引退会見で花束贈呈役を務める)「寂しいですね。(自身が)寮にいた2年間は、ずっと一緒にいたので。よく部屋も荒らしに行きましたし。横田らしいと思ったのは、(16年の)開幕戦でものすごく緊張してて。スタンドに投げいれるサインボールを持っているんですけど、キャッチボールをする時に、そのボールを投げてきて。これ、お前のサインボールだぞって(笑)。それぐらい緊張してて、あいつらしいなって。仲は変わらない。プライベートは今まで通り、仲良くしていきたい」




    原口くん…😢 監督もみんなもさみしいよなぁ 引退の阪神・横田に続々惜別コメント 矢野監督「手本になるモノを見せてくれた」  https://www.daily.co.jp/tigers/2019/09/22/0012725027.shtml?pg=amp&__twitter_impression=true 



    引退の阪神・横田に続々惜別コメント 矢野監督「手本になるモノを見せてくれた」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース 忘れないよ・・・横田 お疲れ様  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190922-00000140-dal-base 



    泣けるなぁ。一軍で見たかったけど。 本当に好青年みたいだね。違う道に行ってもきっと大丈夫ねー。ひとまずお疲れ様でした! 引退の阪神・横田に続々惜別コメント 矢野監督「手本になるモノを見せてくれた」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190922-00000140-dal-base 



    どんどん阪神選手から横田くんへのコメントが届くからもう… 横田くんほんと愛されてる



    引退の阪神・横田に続々惜別コメント  原口(自身は大腸がんから復活)「僕がリハビリしている時に、横田の一生懸命さっていうのは、誰もが見習うべきところだと思っていた。本人にとってすごく短かったと思いますけど、本当にお疲れさまという気持ち」  https://www.daily.co.jp/tigers/2019/09/22/0012725027.shtml 


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    阪神高山俊外野手が22日、現役引退を発表した横田への思いを言葉にした。

    2歳下の横田とは当時の金本監督のもと、高山のルーキーイヤーだった16年開幕戦で「1番高山、2番横田」のコンビを組んだ。


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    【写真】引退会見を終えた横田慎太郎にサプライズで花束贈呈する、高山俊と北條史也

    「寂しいです。今年も何回かファームに行って横田の練習する姿を見ていましたし、試合中もベンチの前で声を出して、外野のキャッチボールもあいつと結構やったりしていた。いつか一緒に、と思っていたんですけど…。残念ですね」と切り出した。

    引退会見の場では北條とともに花束を渡し、横田から「高山さんの顔を見たら涙が出なくなった」と愛のあるツッコミを受けたという。

    思い出を問われると「僕がいた寮(虎風荘)の2年間はずっと一緒で部屋も近かったので、散々部屋を荒らしに行ったりしました(笑い)。一番横田らしいなと思ったのは、(16年)開幕戦の時にめちゃくちゃ緊張していて、子供に渡すはずのサインボールを試合前の(自分との)キャッチボールの時に投げてきて。これ、オマエのサインボールだぞ、と(笑い)。それが一番横田らしいなと思いますね」と笑顔。

    「僕が経験したことのない経験をしているので、どういう言葉が正しいか分からないけど、まずは『お疲れさま』と。選手じゃない立場になっても仲は変わらないので。プライベートでは今まで通り仲良くしていきたいと思います」と力を込めた。




    髙山くん…😭 阪神高山「寂しい」引退横田へ北條とともに花束渡す - プロ野球 : 日刊スポーツ  https://www.nikkansports.com/m/baseball/news/201909220000602_m.html?mode=all 



    阪神高山「寂しい」引退横田へ北條とともに花束渡す(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース 高山選手とのこういうエピソードにもいちいち心和んでたなあ #hanshin #tigers #阪神タイガース #横田慎太郎 #ありがとう横田  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190922-09220602-nksports-base 



    横田、引退か…。脳腫瘍なんて、しんどかったやろな…。こんな才能ある若手が病気でいなくなるのは耐えられんわ。これからも元気でいてほしいな! 阪神高山「寂しい」引退横田へ北條とともに花束渡す  https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909220000602.html?utm_source=twitter%26utm_medium=social%26utm_campaign=nikkansports_ogp 



    金本阪神の1年目…高山&横田の1、2番にどれだけの虎党が心躍らせたことだろう? わずか数年後にこんな悲しい引退会見があるとは思いもしなかった でもまだ24歳 未来は無限に広がってる 横田クン、お疲れさまでした ただ引退のニュースがまだ消化しきれない… #横田慎太郎



    開幕の高山、横田の打順にワクワクしたのを思い出した。 本当にお疲れ様でした。今、盛り上がってる草野球とかに出てほしいなぁ。一軍の残り試合のどこかで出てほしい。 #阪神 #横田慎太郎 #セリーグ  https://twitter.com/tigersdreamlink/status/1175643273001455621 


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     阪神の横田慎太郎外野手(24)が22日、今季限りでの現役引退を表明し、兵庫県西宮市内で引退会見を開いた。抜群の身体能力を誇り、走攻守3拍子揃った大型外野手として将来を嘱望されていたが、17年2月の沖縄春季キャンプ中に脳腫瘍が判明。過酷な闘病生活を経て、18年は育成選手として再出発したが、実戦復帰もかなわず、自らの意思で大きな決断を下した。

     以下は会見での一問一答。

     私横田晋太郎は今シーズンをもちましてユニフォームを脱ぐことを決めました。

     ――会見に臨んだ今の心境

     「自分で決めた決断なので、全く後悔はありません」

     ――引退はいつごろどういった経緯で決断したか

     「やっぱり一番に目の問題が大きいです。自分で打った打球も全く見えず、ピッチャーに投げてもらった球も二重に見えたり、守備の際にもボールが二重で飛んできたり。目のほうがぼやけるということが多かったので来シーズンこれを続けてもちょっと厳しいかなと思い決断しました」

     ――ここに至るまでリハビリを始めて、実戦復帰を目指してきた。自身の中で葛藤は

     「この一年半とても苦しかったですけど、自分が野球をやりたいと思ってした決断なので全く悔いはありません」

     ――監督やチームメイトに相談は

     「自分で決めました」

     ――家族には

     「両親のほうも相談は少ししましたけど、基本は自分の意志が強かったので自分で決めました」

     ――決断に父親は

     「自分で決めた考えなので何も言わず、今までお疲れさんと言ってくれました」

     ――脳腫瘍と診断をされた当時の思い

     「脳腫瘍と言われた瞬間は本当に頭が真っ白になって今後野球ができるか不安になりましたけど、これまでたくさんの方に支えられてここまでこれたので、本当にみなさんには心の底から感謝の気持ちしかありません」

     ――復帰への思いを支えたものは

     「やっぱり毎日練習やっていたらファンの方がたくさん来られていて、試合にも出ていないのにもかかわらずたくさんの方々が僕を応援してくれて。すごい大きかったです」

     ――鳴尾浜でファンにかけられた言葉で印象に残っている言葉は

     「やっぱり1日でも早く試合に出て(背番号)24番を取り返してくださいと言われた瞬間。自分もその気持ちでやっていました」

     ――6年前に桧山の24番を引き継いだ。番号への思いは

     「桧山さんという素晴らしい選手の番号でもありますので最初はすごく僕で良いのかなと思いましたけど、こうやって124番になってもう一回取り返したいという気持ちで今までやってきましたので…すごく残念ですね」

     ――今季病から復活を遂げた原口の存在は横田にとって

     「原口さんが病気から帰ってきた際にも一緒に活躍してお立ち台にいこうという話もありましたし、今でも活躍されているので本当に素晴らしい先輩だと思っています」

     ――お互いに交わした言葉の中で印象に残っている言葉

     「たくさんありますが、やっぱり原口さんに言われたのが、何をするにしても前を向いてやっていこうという言葉が印象にありますね」

     ――今プロ野球人生6年間を振り返って一番思い出に残っていることは

     「開幕スタメンで試合に出れたのもそうですけど、悔いなくこの2年半。すごく自分の中でもがいて苦しんで色んなこと思って野球できたこの2年半は良い思い出です」

     ――2016年の京セラでの開幕戦はそれだけ強い印象が残っているか

     「ものすごく緊張しましたし、足が震えるほど緊張していたのですごく今でも印象に残っています」

     ――プロ初盗塁をきめた

     「足が震えたりはしたんですけど、セーフになって安心しました」

     ――次の日は

     「覚えています。初ヒットだったのですごく嬉しかったです」

     ――1軍では109打席。一番印象に残っている打席は

     「巨人の菅野投手の球は本当にすごいボールだなというのを今でも覚えています」

     ――今後のビジョンは

     「球団の方からも話をもらっていますけど、しっかりもう一回両親と考えてからにしたいと思っています」

     ――横田晋太郎にとって野球とは

     「小さい頃から野球しかしてこず、最後こうやって病気になってユニフォームは脱ぎますが、最後にプロ野球という舞台で野球ができて、しかも阪神タイガースという素晴らしい球団で野球をやらせてもらって本当に感謝の言葉しかありません」

     ――ファンへ一言

     「ファンの方には入院中からたくさんの千羽鶴や手紙が届いて、もう一回グラウンドにユニフォームを着て戻れたのはファンのみなさんのおかげなので。ファンの方へは感謝の気持ちしかありません」

     (以下記者囲み)

     ――難しい決断だったと思うが、今の気持ちは

     「ちょっと今年は自分の中で苦しかったので。これがもし来年も続くのであればちょっと厳しいのかなと思い決断しました」

     ――目のことが一番引退の要因となった

     「一球もボールがきれいに見えなかったので。毎日苦しかったですし、これが来年も一緒だったら…もう本当につらかったので自分で(引退を)お願いしました」

     ――色んなことがあったと思うが野球人生を振り返ってみて

     「本当に最初のほうは自分も(試合に)出さしてもらってすごく嬉しかったですけど、病気してからの野球人生の方が、自分の中ではもがいて苦しんで、いつもなんでボールが見えないんだろうと思いながら練習もしてましたし、この2年半の方が自分の中では印象が強いですね」

     ――闘病を公表してから同じ病気の人に夢を与えることを口にし続けてきた

     「そこは今でも変わってないですし、これからも絶対変わることなく、今苦しんでいる方がたくさんいると思うので。そういう人たちに良い所は見せられなかったでしたが、これから何かしらの形で少しでも良い所を見せられるように、これからの人生頑張っていきたいと思います」

     ――北條、高山から花束をもらった

     「嬉しかったですし、ずっと一番いじってもらったのでそれが一番2人には強いですね」

     ――高山とは2016年1、2番コンビ。特別な思い

     「もちろん特別でもありますし、日常生活でもすごく助けてくれた先輩でもありますんで。北條さんも高山さんも尊い先輩です」

     ――両親への感謝の思い

     「両親には一番(感謝の気持ちが)多くて。僕が治療中髪が全部抜けた際にもお父さんが鹿児島から…(涙を流し)お父さんが髪を丸坊主にしてくれて僕の部屋まで来てくれて。本当にあれを見たとき、両親帰ったときは1人で大泣きして。なんて強い父親だなって思って。お母さんも仕事やめてまでこっちの方に来てくれて。15時間の手術が終わった際にも僕は目のほうが回復せず何も見えなくて、トイレに行くにしてもお母さんの手がないといけない。ご飯を食べるにしても見えないので両親の手がないといけない。本当に毎日何をしてるんだと思いながら自分は入院してましたけど、最後こうやって試合には出れてませんが、野球できたのは本当に素晴らしい両親のおかげなので…感謝の気持ちしかありません」









    横田選手の引退会見見たら泣けてきた年取ると涙もろくてさ…戻ってきてくれると思ってたけど本人が決断されたことだから



    京セラドームでの開幕デビュー戦を見に行ってから応援してる大好きな選手でした。残念ですが…これからの方が長い人生です。応援してます。【阪神・横田 一問一答】引退会見で涙「野球ができたのは本当に素晴らしい両親のおかげ」 - スポニチ Sponichi Annex 野球  https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/22/kiji/20190922s00001173257000c.html 



    広島 赤松選手 阪神 横田選手 両者とも病気から克服し復帰。 一軍目指したが叶わず引退。 同日に引退会見とは... お疲れ様でした!!! #赤松真人  #横田慎太郎 pic.twitter.com/vJV76mZ6RW






    横田選手の会見内容読んで病気した後大変だったんだなと。赤松選手も引退されるようだし、ホントにおつかれ様でした。


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