とらほー速報

プロ野球・主に阪神タイガースがメインです。 オープン2ちゃんねるやツイッターやニュースサイトよりまとめてます

    ノムさん

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 20/07/20(月)16:01:14 ID:fTk
    審判、ルール、選手、チーム
    どれを調べてもどこかしらでノムさんの名前が出てくる

    6: 名無しさん@\(^o^)/ 20/07/20(月)18:38:04 ID:1dB
    そりゃノムさんよ

    引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1595228474/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/05(火) 21:47:22.83 ID:lSpofDuJp0505
    ID野球そのものはMLBでセイバーメトリクスが利用される前に発達したのに

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1588682842/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/04/29(水) 14:09:14.32 ID:Znv3JUQr0NIKU
    野球に関しては血液型占いは本当なんやろうな

    4: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/04/29(水) 14:10:55.90 ID:7HFBeahh0NIKU
    ああいう具体的なのは無いけど
    結構大雑把な違いは実際にあるらしいな血液型と性格

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1588136954/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/04/05(日) 12:45:44.30 ID:jGzggjfe9
    ヤクルトでは選手と監督、楽天ではヘッドコーチとして野村氏に仕えた橋上秀樹氏

    選手として、ヘッドコーチとして、野村克也氏の薫陶を受け、野球の戦術に磨きをかけてきた。
    巨人、西武でもコーチを務めた橋上秀樹氏は名将から多くの言葉を聞いてきた“参謀”の一人。
    その中でも忘れられない一言がある。「本当は巨人の監督をやってみたい」――。
    想像しただけでも、どんな野球をやっていただろうか……と胸が躍るような気持ちになる。

    現役時代にはヤクルト、阪神で野村氏の下で戦い、07年から09年は楽天のヘッドコーチとして監督に仕えた。
    これまでも著書やインタビューで戦術の裏側や、時には“ぼやき”の真実を明かしてきた橋上氏に改めて名将に寄り添った日々を振り返ってもらった。

    野村氏は“貧乏くじ”という表現をよく使っていた。ヤクルトや阪神、そして楽天と最下位、もしくは、万年Bクラスのチームの再建を託されることが多かった。
    それでもヤクルトを優勝や日本一に導いた。阪神や楽天は後に優勝するなど、その礎を築いた。

    楽天の監督時代だった。橋上氏は冒頭の言葉に驚いた。

    「本当は巨人の監督をやってみたい。戦力が整ったところで1回、監督をやってみたい。そこで満足できるのかどうかを確認してみたいんだ。でも、やっぱり私は貧乏性だから、そういうところでやったら、飽きちゃうのかなぁ……」

    現役時代は距離が近くなかったが、楽天のヘッドコーチ時代は野村氏の本音に触れていた。「私にとってのスーパースターは川上哲治さん」とも言っていたという。
    王貞治、長嶋茂雄は“ひまわり”、自分はひっそりと咲く“月見草”と表した言葉は有名だ。巨人という存在は野村氏にとっては特別だった。

    原監督に戦略的な部分で策を進言も「橋上、ここはジャイアンツなんだ」

    野村氏は着ることがなかった巨人のユニホーム。橋上氏はリーグ優勝を逃した巨人から2011年オフにオファーを受けた。原辰徳監督のもと、常勝軍団でコーチを務めることになった。
    橋上氏と時を同じくして、村田修一、杉内俊哉をFAで獲得するなどチームは選手を補強。2012年に3年ぶりのリーグ優勝と日本一に輝いた。2014年まで3年、在籍したが、その間に巨人はリーグ3連覇を果たした。

    巨人のユニホームの重みを感じた3年間でもあった。整った戦力の中で、負けることが許されない雰囲気を味わい、勝ち方にもこだわりがあることを感じた。橋上氏は野村監督と原監督の下で戦った経験をこのように振り返る。

    「野村さんは極端に言うと、勝つことが最優先。あの手この手を使ってでも勝てばいいんだという考え方。原さんは同じ勝つことが目標ですが『ジャイアンツなんだから、横綱相撲で勝たないといけない』と言っていました」

    巨人時代、戦略的な部分で策を進言したところ「橋上、ここはジャイアンツなんだ」と諭されたことがあったという。

    「言い方が悪いかもしれませんが、私が提示した“姑息なこと”をしてまで、勝ってはいけないという考えを持っておられたのだと思います。
    『ファンを失望させるような勝ち方はしたくない』とも言っていました」

    この常勝軍団の考え方は「野村さんには通用しない」と橋上氏は断言する。しっかりと相手を寄り切るのが原監督ならば、野村監督は勝てない相手には四つで組むな、という考え方だからだという。

    「プロなんだから、勝てばいいんだというのが野村さんの考え。そこをちょっと考えた時、巨人の監督としてどうだったかなと……。
    原さんみたいな考え方が(巨人の監督を)やる人の考えなんだなと思いました。ただ、お2人ともタイプは違えど、歴史に残る名将であることは間違いない。
    そんな2人の名将のもとで仕事ができたことは私にとって大きな財産となっています」


    https://news.livedoor.com/article/detail/18059201/
    2020年4月2日 11時10分 フルカウント

    2: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/04/05(日) 12:46:18.91 ID:jGzggjfe9
    ワンポイント継投に、大胆な先発隠し……野村監督は勝つ手段を選ばなかった

    野村監督は阪神の監督時代、1イニングの中で左腕の遠山奬志投手と右下手投げの葛西稔投手を相手打者の左右に合わせ、投手と一塁手で交互に起用した。それは「遠山・葛西スペシャル」という周囲を驚かせる采配で話題となった。他にも偵察メンバー(出場させる予定のない選手を先発メンバーに入れ、相手投手の左右によって選手を代える作戦)を入れる手段を取るなど、“弱者の兵法”で戦ってきた。

    「野村さんは“姑息”だとは思っていないんでしょうが、あれをやったらジャイアンツファンに受け入れられたかどうかはわからないですよね」

    橋上氏がヘッドコーチ時代でよく覚えているのが、予告先発がなかった時代のセ・パ交流戦の巨人戦でやった“かく乱作戦”だった。

    「先発ピッチャーにわざと、ジャイアンツが球場入りしてくるタイミングでアメリカンノックをさせたんです。普通は試合前にやらないようなことをやりましてね……。ふたを開けてみたら、その投手が先発でした」

    アメリカンノックとは、右翼(左翼)から左翼(右翼)方向にダッシュし、左翼(右翼)に打たれたノックを捕球する練習方法。かなりハードな練習だ。普通ならば、このあと長いイニングの投球を期待する投手にさせる練習ではない。しかし、野村監督は奇襲を仕掛けた。相手の頭の中から、先発の可能性を消し、少しでも困惑させようとしたのだった。

    ノムさんが行った奇襲は挙げ出したらキリがない。

    「あれで負けたら、とんでもないバッシングを浴びていたと思います。弱者がやるにはアリなんですよね。戦力が整ってないという考え方の中で生まれる作戦。あの手、この手を使わないと強いチームには勝っていけないだろうということなのです」

    もう実現することはない“巨人・野村克也監督”。野村監督に長く仕えた橋上氏に聞いた。「どうなっていたと思いますか……」

    「見たかった気持ちもしますけど、あんまり長くはできなかったんじゃないでしょうか。あんまり魅力的なチームにならなかったんじゃないかなと思います」

    橋上氏の言うような結果だったかもしれない。「ひまわり」に対して自らを「月見草」と呼び、「失敗と書いて成長と読む」など弱者の立場になって戦う様は、野球界だけでなく、世の人間の心の支えになったことは間違いない。巨人の監督をやらなかったことは必然だったのかもしれない。それが生き様であり、名将の魅力を増幅させたと言っていい。野村監督の功績が色あせることはない

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1586058344/

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     2月11日に野村克也さんが84歳で急逝し、30日で四十九日を迎えた。これまで数多くの追悼番組が制作され、強打者、名捕手、知将として日本球界に遺した偉業に改めて脚光が当てられている。ベストセラー作家でもあったが、今月発売された遺作「超一流 プロ野球大論」は愛弟子の江本孟紀氏(72)と初の共著だ。南海(現ソフトバンク)時代から半世紀近い付き合いとなったエモやんが、ノムさんの魂が旅立つ節目に前後編で手向けの言葉を贈る。(聞き手・塚沢健太郎)

     --早いもので四十九日

     「あの人はなんだかんだで、100歳近くまでは生きると思っていた。若いときから知っている人間からすれば、寂しいね」

     --追悼番組にもたくさん出演していた

     「フジテレビのとき(2月16日)に、(息子の)克則(楽天・野村作戦コーチ)の奥さんが、小さな骨壺と遺影を持ってきてくれた。番組後にみんなで記念写真を撮ることになって、俺が骨壺を持ったんだけど。小さな骨壺(350ml缶ほどの大きさ)なのに、やたら重かった。鉄か鉛でも入っているのかと思うぐらい」

     --何かあるんでしょうね

     「あれは何だろうね? どう考えても何かあるよ。うちの親のときも持ったけど、普通は軽いはず。そのときに『あの人の骨はすごいな』と思った。長嶋一茂が遺影を持って、『おまえ一番いじめられたのに』とみんなに冷やかされていたけど(笑)」

     --今でも功績を振り返る番組が多い

     「あんなに特番があると思わなかった。ノムさんは人に好かれたね。憎まれジジイにならずに、いい歳の取り方をした。歳のわりに世間をよく読んでいた。“これをやったらウケる”というのがわかっていた。その辺は、さすが捕手だよ。投手の悪い球でもよく見せたりして、打者を騙すようなポジションだからね」

     --昔は怖かったが、楽天では面白いおじいさんになっていた

     「これだけ大勢の人がいろいろな角度から注目して、あの歳になっても第一線で活躍した。いつの間にか亡くなっているプロ野球OBも多いけど、亡くなる直前までテレビに出ていたんだから、そんな人はいないよ。車椅子に乗っていても、生涯一線捕手だった」

     --ノムさんは歴史上の人物になってしまった

     「よくいろんな言葉を言っていたけど、あれはほとんど人の言葉。あの人の(オリジナルの)言葉を探して、まとめれば後世に語り継がれるよ」

     ■オファーされたことは?

     --ところで、野村監督からコーチをオファーされたことはないのか

     「俺に限らず、ノムさんに頼まれた人はいないと思う。サッチー(沙知代夫人)に裏金渡せばできたかもしれないけど(笑)。そんな気はサラサラなかった。球団が親しい人を呼んだことはあっても、自分から呼ぶタイプではなかった」

     --もしコーチをやったらどうなっていた

     「俺の性格だと、監督とケンカはしないと思う。監督がどんな失敗をしても、敵に向かっていった」

     --それは意外

     「身近な連中は俺の性格を知ってるけど、世間のイメージとは逆だね。俺は上下関係には従う。親分になった人には、命を懸けていくタイプだから」

     --3年連続最下位に終わった阪神のときに支える姿が見たかった

     「俺がもしも阪神のヘッドコーチでもやっていれば、変な騒動は起きていないし、ノムさんにあんな恥はかかせていない。俺を使わないなんてバカだよ。どこの球団も見抜けなかった。ところで、最後にあの人のために、やりたいことがあるんだけど…」

     ■「最後にこの本を唯一、遺してくれた」

     野村さんと江本さんの共著「超一流 プロ野球大論」(徳間書店、1400円+税)が11日に発売された。

     約150冊の著書があるノムさんの遺作。昨年の夏から秋にかけて何度も収録を重ねたもので、江本さんは「俺には何も遺さなかったけど、最後にこの本を唯一、遺してくれた」と南海時代以来45年ぶりのバッテリー再結成を振り返った。

     「INING7」では「今こそ明かそう、あの真相」と題し、ヤクルト時代の長嶋一茂への指導や古田敦也に2時間正座させた話、エモやんが引退する原因となった「ベンチがアホやから野球がでけへん」の真相などが語られている。




    絶対に実現させてくれ!いや、実現させてくださいませ。🙇 江本孟紀氏語る「本当のノムさんは南海だよ。もっと『南海・野村』を球界に認識してもらいたい」  https://www.zakzak.co.jp/spo/news/200402/bas2004020001-n1.html  #スマートニュース


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