とらほー速報

プロ野球・主に阪神タイガースがメインです。 オープン2ちゃんねるやツイッターやニュースサイトよりまとめてます

    元阪神

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/02/28(金) 01:40:24.55 ID:aO8+z4Ft0
    虎の親父曰く変わり者らしいんやが
    どゆとこが変わってるんや?

    8: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/02/28(金) 01:42:33.80 ID:ny/SRKhX0
    一人暮らしするの面倒くさいから寮出るの年俸交渉の席で延長認めさせた

    11: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/02/28(金) 01:43:06.37 ID:6HagFyXAa
    サッカーや将棋大好き
    江川に憧れの選手聞かれてロナウジーニョと答えてた

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1582821624/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/02/27(木) 06:01:19.21 ID:5LBXpsOQD
    どうだっけ?

    5: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/02/27(木) 06:03:50.70 ID:d9fBHfpT0
    二神も居たな

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1582750879/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/11/30(土) 17:36:49.54 ID:gwQojski0
    日本ハムの王柏融外野手(26)の通訳を務めた蕭一傑氏(33)の退団が濃厚となっている。

    蕭氏は2008年のドラフト会議で阪神から1位指名を受けて入団。台湾人ではNPB初となるドラフト1位選手の誕生となり、大きな話題を呼んだ。
    その後はソフトバンクでプレーしたのち、台湾球界に復帰。昨オフに戦力外通告を受けて退団すると、同時期に入団が決まった“大王”こと王の通訳として共に来日した。

    それが1年限りで退団とは、ウラで何があったのか。
    すでに台湾では大きな関心事となっており、現地メディアでは「王は蕭氏を通訳者としてよりも世話人と認識していたために対立。スター選手から通訳者へ転身した蕭氏には厳しいものとなった」などと、2人の関係がこじれたことが原因と報じられている。

    もちろん台湾リーグで打率4割を記録し、タイトルも総なめにしたトップスターである王が、突然不慣れな異国の地で生活するのは容易ではない。
    チーム内からは「英語をしゃべれる助っ人選手であれば、ほかの助っ人選手などとも容易に意思疎通ができるでしょうが、ボーロンは台湾語。
    母国語でしゃべれる相手が蕭さんだけとなれば『人の合う合わない』で互いにストレスを感じてしまうのはありうることだとは思います」と、同情する声も上がっている。

    関係者によると、蕭氏は家庭の事情なども加味し、台湾で新たな職に就く見込み。今回の一件で、改めて外国人選手の取り扱い方の難しさが浮き彫りとなった格好だ。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191130-00000016-tospoweb-base

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1575103009/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/11/27(水) 23:05:18.44 ID:+x833+fQ9
    台湾南部にある屏東市。駅から2時間に1本のバスに乗り、30分ほど行ったところに台湾プロ野球・中信兄弟の二軍施設がある。周囲には小さな集落以外なにもなく、スタンド付きの球場と寮を兼ねた施設は、若い選手が野球漬けの日々を送るにはちょうどいい。とはいえ、ファーム行きを告げられたベテラン選手はたまったものではない。

    赤星憲広が阪神打線と守備の弱点を指摘「新たな右打者の台頭が必要」

    「僕はまだ独身ですから(笑)」

     そう語るのは、中信兄弟の二軍監督を務める林威助(リン・ウェイツゥ)だ。ここでの生活もまったく苦にならないと語る。

     林が中信兄弟の二軍監督に就任したのは、昨年のことだ。17歳で福岡・柳川高校に野球留学し、近畿大を経て、2002年のドラフトで阪神から7巡目指名を受けて入団。2003年から11シーズンにわたってプレーしたもののケガに泣かされ、一度も規定打席に到達することはなかったが、それでもパンチ力のある打撃は阪神ファンの心をつかんだ。

     また林は台湾のナショナルチームでもプレーし、2004年のアテネ五輪やWBCで日本代表と戦っている。

     その台湾ナショナルチームだが、近年、国際舞台で目立った結果を残せていない。2013年のWBC第2ラウンドでは日本相手に死闘を繰り広げたが、2017年のWBCでは第1ラウンド最下位に終わるなど、プロ参加のトップレベルの大会で苦戦が続いている。

     林が故郷・台湾を離れていた期間は18年。その間、台湾野球は大きく変わった。帰国後、台湾野球を学ぶ気持ちもあり4年間、現役を続けたが、指導者となった今、恩返しのつもりで若い選手の育成に取り組んでいる。

     かつて台湾の野球選手の目標は、日本のプロ野球だった。1980年に高英傑、李来発が南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団したのにはじまり、郭源治(元中日)、郭泰源(元西武)、大豊泰昭(元中日など)らが日本プロ野球界を席巻した。

     日本への選手の流れは今も続いているものの、1990年代後半からは台湾プロ野球を経由することなく、アメリカへ渡る選手が急増している。しかし、アメリカはポテンシャル重視で、細かな指導を行なわれないことが多い。そんななか、20代半ばで振り落とされ台湾に戻ってきても、吸収力のなくなった体は細かな指導を受けつけないことがほとんどだ。

    つづく

    11/27(水) 6:20配信 スポルティバ
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191127-00878870-sportiva-base&p=1

    写真
    no title

    2: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/11/27(水) 23:05:27.65 ID:+x833+fQ9
    台湾人指導者は、まず台湾プロ野球で実績を残してからアメリカに渡ったほうがいいと言うのだが、1990年以降、プロリーグの分裂危機や度重なる八百長事件などでマイナスイメージが定着し、選手の親世代がメジャーを頂点とするアメリカ志向になってしまったと、林は嘆く。

    「私が台湾に帰ってきた頃、プロ野球の人気はかなり落ちていました。でも、最近はちょっと変わってきています。ファームの環境もよくなり、給料もだいぶ上がってきています。まずは台湾で腕を磨こうと考える選手が多くなってきています」

     台湾人選手がメジャーでプレーしたのは、2002年に陳金峰がドジャースで外野手としてデビューしたのが最初である。その後、2005年にヤンキースの王建民が初めてメジャーのマウンドに立ち、翌年、アジア人として初の最多勝投手となった。

     以来、これまでメジャーでプレーした台湾人選手は16人。このうち、アマチュア球界から台湾のプロ野球を経てアメリカに渡ったのはふたりだけしかいない。

     メジャーのスカウティング網の拡大に伴い、近年、北米以外でもメジャーリーガーを多く輩出する地域の選手の契約金は高騰している。たとえば、ドミニカ共和国では、日本円で億単位の契約金も珍しくなくなってきている。しかし台湾の場合、その実績のなさからか、契約金は高額ではなくなっていると林は言う。

    「昔のほうが高かったんじゃないかな。最近聞いたのは、5万ドル(約550万円)でした。ドミニカなどは、これまで多くのメジャーリーガーを輩出し、今でも多くの選手が活躍している。いま台湾人のメジャーリーガーって誰がいます? いないでしょう。そうなると、契約金も下がってきます。10年ぐらい前はみんな期待していたけど全然ダメで、そういう選手がいま台湾に帰ってきてプレーしています」

     台湾プロ野球リーグ(CPBL)は、2019年になってようやくメジャーリーグ(MLB)、日本プロ野球(NPB)、韓国プロ野球(KBO)といった主要リーグと選手の移籍に関してポスティング制度の協定を結んだというが、アマチュア選手に関しての規定はない。

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1574863518/

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     本塁打王に輝くなど中日で活躍し、2015年1月に51歳で亡くなった大豊泰昭さんの遺骨が15日、千葉県の銚子沖へ散骨された。最期をみとった妻の百合子さんが儀式を行った。本人の遺志だったという。

     百合子さんによると大豊さんは亡くなる前、「墓は作らなくていい、海にまいてほしい」と話していたという。当初は七回忌後に散骨する予定だったが、台湾の家族とも相談した結果、今年散骨することにしたという。

     大豊さんは日本のプロ野球を目指して1984年に台湾から来日。名古屋商大、中日球団職員を経てドラフト2位で89年に中日入団。94年に本塁打、打点のタイトルを獲得。98年阪神移籍、2001年に中日に復帰し、02年オフに引退した。その後はスカウト、飲食店経営にたずさわっていたが09年に急性骨髄性白血病と診断され、闘病生活を送っていた。




    元中日・大豊さん 遺骨が海へ… 死去から4年  本人の望みどおりに… (中日スポーツ) ほんと名前の通り "大砲"でしたね👏  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191115-00010022-chuspo-base 



    @t7o7r7a7tigers7 何か涙が出ます😭 大豊選手、阪神に来てくれて有難うございました🙇 ゆっくり休んでください😊 千葉の海から阪神・中日の選手の活躍を見とって下さい🐯🐲


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