とらほー速報

プロ野球・主に阪神タイガースがメインです。 オープン2ちゃんねるやツイッターやニュースサイトよりまとめてます

    元阪神

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/06/09(火) 21:42:01.07 ID:IMnxRdA80
    最高球速は146km/h
    何とか抑えた
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    3: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/06/09(火) 21:42:50.59 ID:uPmsC46Z0
    オスンファンもう40歳近いんちゃうんか

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1591706521/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/31(日) 12:58:55.15 ID:wRgGHKv/9
    1989年、阪神で106試合に出場し38本塁打、打率.302と好成績を残したフィルダー氏

    他球団や他リーグへの移籍が転機となり、才能を開花させるケースは往々にしてあるが、MLB通算319本塁打を放ったセシル・フィルダー氏の飛躍のきっかけとなったのは、はるか海の向こう、日本の阪神でのプレー経験だった。
    地元紙「デトロイト・フリープレス」がフィルダー氏の特集記事でその阪神時代にも触れている。

    記事では「デトロイト・タイガースのセシル・フィルダーは30年前のタイガースタジアムでの一発でHRのスーパースターになった」との見出しで、1990年、51本塁打を放ったメジャー復帰1年目のシーズンを紹介している。
    1985年にブルージェイズでメジャー初昇格となるもなかなか出場機会に恵まれなかったフィルダー氏は、その前年の1989年に4番打者としてレギュラー確約のオファーがあった阪神に入団。106試合で38本塁打、打率.302と好成績を残していた。

    フィルダー氏は「私は毎日プレーしたかった。そしてその機会がトロント(1985~1988年)ではなかった。日本でプレーして自信が付いた。
    打者としての自分の存在意義を学ばせてもらった」と当時を回顧。日本での経験を糧にデトロイト・タイガースでメジャー復帰を果たすと、その年にメジャー13年ぶりとなる51本塁打を放ち、
    翌1991年と2年連続で本塁打、打点の2冠を獲得するなど輝かしい成績を収めた。

    「私はごまかし行為はしていなかった。本物だった。ステロイドは必要なかった」とフィルダー氏。日本でのプレーを自信にメジャーでも大きく才能を開花させた。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/693017c57bab504957b0220d9b28562eca364e32
    5/31(日) 8:30配信

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    https://column.sp.baseball.findfriends.jp/show_img.php
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    https://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/mbatter/cecil_fielder.html
    成績

    https://www.youtube.com/watch?v=u9OgXbEFcIE&t=90s


    セシル・フィルダー 来日初アーチは特大の逆転決勝弾

    https://www.youtube.com/watch?v=HJ6KUFFA400


    阪神フィルダー横浜大洋戦

    https://www.youtube.com/watch?v=5SZUnRaMv9c&t=117s


    ガリクソンvsフィルダー★2年後のMLB最多勝・本塁打王の対決

    2: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/31(日) 12:59:25.15 ID:2KpW88ry0
    育成の阪神やね(^^)

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1590897535/

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    聡文



    本日5月29日は元阪神・高橋聡文投手37歳の誕生日です。おめでとうございます。


    聡文お誕生日だ! 今年もお祝いできるの嬉しいし、引退してそれきりの選手も多い中、動画やSNSでこれからも応援できるの幸せだなぁって思います。 おめでとう!!🎂🎂🎂



    @akifumi0529 高橋聡文様 お誕生日おめでとうございます🎂🥳 これからの人生が聡文さんにとって笑顔溢れる幸せな人生でありますように✨✨ これからも応援してます📣💕


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    15打席以上対戦して唯一安打を打たれていない元阪神ボーグルソン
    現在はマリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏【写真:Getty Images】

     歴代最多となる日米通算4367安打を放ち、昨年で現役を引退したイチロー氏(現マリナーズ会長付き特別補佐兼インストラクター)。MLB通算でも3089本もの安打を量産する安打製造機が、15打席以上対戦して唯一、安打を放てなかった投手がおり、それが元阪神の助っ人であることはご存知だろうか?

     イチロー氏がメジャーで安打を1本も放てなかった“天敵”、それは右腕ライアン・ボーグルソン氏だ。このほど、米スポーツ専門メディア「ジ・アスレチック」が、ボーグルソン氏に注目。「天敵:イチローにヒットを許さないためには、ある投手の取りつかれたような思想や行動が必要だった」とする特集を掲載した。

     2007年、2008年と阪神、そして2009年にオリックスでプレーし、3年間に渡って日本でプレーしたボーグルソン氏。パイレーツ時代の2004年にイチロー氏を3打席無安打に封じていた右腕だが、記事では「このとき、まだ誰も気が付いてなかったのは、ボーグルソンがイチローの天敵になるということだった」と指摘。実際にボーグルソン氏はメジャーで目立った実績を残せず、2007年にプレーの場を日本に求めた。

     来日した3年間でボーグルソン氏にとってイチロー氏の顔は馴染み深いものになったという。メジャーでの活躍により、街中の広告やテレビCMなどで目にすることが多く「イチローの姿を見ることなくして、日本の街を歩くことは出来なかったよ。広告とか、とにかく全ての場所でね。マリナーズの試合もいつもTVで放送されていたし。たから、僕はあの顔に本当に馴染みがあったんだ」と右腕は振り返っている。

    ボーグルソンは「イチローにヒットを打たせなかった投手の中で最も多く彼と対戦」
     2009年にオリックスに移籍したが、1年で退団し、2010年はフィリーズ傘下、エンゼルス傘下でプレーした右腕。2人が再び対戦するようになったのは右腕がジャイアンツに復帰し、2年目となった2012年になってから。前年の2011年にボーグルソン氏はついに覚醒し、30試合に先発して初の2桁勝利となる13勝をマーク。さらに2012年にも14勝をあげ、ジャイアンツのワールドシリーズ制覇にも貢献した。

     イチロー氏とは2012年、2013年、2015年、2016年と対戦したボーグルソン氏。18打席、15打数で対戦してノーヒットに封じており、記事では「イチローにヒットを打たせなかった投手の中で最も多く彼と対戦した選手である」とされている。もちろん、27打席で2安打のフランシスコ・ロドリゲスや23打席3安打のジェレミー・ヘリクソンといった抑えた投手もいるが、ボーグルソン氏は1本のヒットも許していない。

    「ジ・アスレチック」の記事では「この2人を見ていると、実は2人に共通点があることに気が付いた」とされ、ボーグルソン氏とイチロー氏には共通するところがあるとする。それは「2人の永続的な情熱と、異常なまでに細部に注意を払うことだ」という。イチロー氏が毎朝カレーを食べていたという“逸話”は有名だが、ボーグルソン氏も「試合で投げる前日にはいつも、チキン・エンチラーダだけを食べていた」と、記事で紹介されている。

     イチロー氏を18打席ノーヒットに封じたボーグルソン氏。ただ、なぜイチロー氏を無安打に抑えられたかについては簡単には説明できないという。初めて対戦した2004年のことを「僕は彼に対しては、良いシンカーとチェンジアップをストライクゾーンの下に投げた」と振り返り「(イチローを抑えることが出来たのは)運が良かったということも関係している」と語る。そして「友達が僕に色々な選手と対戦したときのことを聞いてきた時には、僕はこのことを話しているんだ。『知っている?イチローは僕からヒットを打ったことがないんだよってね』」とちょっとした“自慢話”になっていることを明かしている。




    【MLB】イチローの“天敵”は元阪神右腕だった? 無安打に封じた男を米メディアが特集(Full-Count) #Yahooニュース また懐かしい名前やな  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200527-00783375-fullcount-base 



    ぁ、ボーグルソン?へえ~! イチローの“天敵”は元阪神右腕だった? 無安打に封じた男を米メディアが特集 | Full-count  https://full-count.jp/2020/05/27/post783375/ 


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     阪神や広島など4球団でプレーし、2011年に引退した喜田剛さん(40)。現在はスポーツ用品アンダーアーマーを扱う株式会社ドーム(東京都)に勤務し、マーケティング部で野球全般の責任者を務める一方、SNSを駆使してさまざまな情報発信も行っている。


     今年1月にはユーチューバーとしてもデビューした。チャンネル名は「キダゴch」。ソフトバンクの柳田や今宮らアンダーアーマーの契約選手に話を聞いたり、グラブやバットなど野球道具の紹介、バッティング理論の解説、現役時代の裏話など野球ファンが楽しめる動画を週に3日、精力的にアップしている。チャンネル登録数も1万人を超えた。

     「結構楽しみながらやっていますよ。今はコロナの影響でプロ野球もありませんし、野球のニュースも少なくなっています。僕は仕事柄、いつでも選手と会えますから、皆さんにいろんな情報を発信していけたらと思っているんです」

     以前からユーチューブの影響力の大きさは知っていたが、自身がやることには抵抗を感じていたという。「自分は裏方なので、表に出るべきではないと思っていました」。しかし、昨年12月、アンダーアーマーの販促を兼ねて川崎のスポーツ店でトークショーを行うことなり、参加者を募集したところ、あっという間に定員の100人が埋まった。

     「20人ぐらい集まればラッキーと思っていたのでびっくりしました。カープ時代に僕のファンだったという方も結構来てくれました。現役時代、僕はそんなにファンサービスする選手じゃなかったのに、それでもちゃんと応援してくれていたファンがいたことを知りました。このことがきっかけで、もっと表に出てアンダーアーマーの良さを伝えていくことも元プロ選手だった僕の仕事だと思うようになったんです」

     ユーチューブ以外にも、仕事で駆使するSNSはインスタ、ツイッター、フェイスブック、TikTok(ティックトック)、note(ノート)、フォローミーなど多岐に渡る。「世の中ではやっているものはすべて経験しようと思っています。いろんなところにアンテナを広げて、どんどんマーケティングの拡大につなげていきたいんです」。

     旺盛なバイタリティーとチャンレンジ精神でバリバリと仕事をこなす喜田さん。その原動力となっているのは会社への感謝の思いだ。「野球を辞めた後、10カ月間、無職だった僕を拾ってくれた会社に恩返ししたいんです。野球界でアンダーアーマーを日本一のブランドにすることが目標です」と話す。

      ◇  ◇

     喜田さんは02年に福岡大から阪神に入団。パンチ力を武器に2軍では2年連続で本塁打と打点の2冠王に輝いたが、当時の阪神は選手層が厚く、1軍に上がるチャンスにほとんど恵まれなかった。

     大きく花開いたのは07年途中に広島に移籍してから。移籍直後に先発起用され、広島での初打席で安打を放つと、その後も安打を量産。プロ初本塁打やサヨナラ打も放ち、初めてお立ち台にも上がった。一時はクリーンアップも任された。

     当時、チームを指揮していたのはブラウン監督だったが、これには裏話がある。移籍の前年、広島市民球場で阪神と広島の親子ゲームが組まれた時だった。昼間の2軍戦で喜田さんが一塁を守っていると、「キダー!キダー!」と呼ぶ声が聞こえた。声のする方へ目をやると、一塁ベンチ横のカメラマン席にブラウン監督がいた。「“キダ、広島に来い”ってカタコトの日本語で僕を手招きしているんです。その時は、いったいこの人、何を言ってるんだろうと思いましたけど」(笑)。

     翌年5月に広島にトレード。ブラウン監督からは「楽しんでやりなさい。失敗しても切り替えてやれば大丈夫」とアドバイスされた。「阪神時代は毎日毎日怒られてばかり。4の4を打っても怒られてましたから。このひと言で、すごく気持ちが楽になりました」。

     10年5月にオリックスに移籍するまで広島には3年間在籍。「阪神時代は悔しい、つらいという思い出しかありませんが、カープではいい思い出しかない。やっと1軍の選手になれたという喜びを感じながらプレーしていました」と、当時の思いを語ってくれた。

    ◆喜田剛(きだ・ごう)1979年10月25日生まれ。福岡市出身。現役時代は右投げ左打ちの内野手。小学3年で野球を始め、沖学園高時代は通算32本塁打。福岡大を経て01年度ドラフト7巡目で阪神に入団。ファームでは05、06年と2年連続で本塁打王と打点王に輝くが、1軍には定着できなかった。07年5月に広島に移籍してチャンスをつかむ。10年5月にオリックスに移籍。11年に横浜へ移り、その年限りで引退。10年間の通算成績は239試合に出場、409打数102安打、打率・249、9本塁打、46打点。家族は妻と一男一女。





    今日のデイリーで取り上げてもらいました! ぱっと見、「YouTuberになったの?」って思われる方もいると思いますが、、、 まぁYouTuberちゃYouTuberか!笑 しっかり会社員してますので、ご心配なく!! プロ野球の開幕も決まりましたし、これからも会社員YouTuberとして頑張ります! pic.twitter.com/opxleiJG0B



    @gokida225544 頑張れ!喜田くん!


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