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    藤田太陽

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    <猛虎リポート>

    阪神ドラフト1位・西純矢投手(18=創志学園)のプロ入りを後押しした人がいる。阪神に9年間在籍した藤田太陽氏(40)だ。西武、ヤクルトでプレーした後、社会人野球のロキテクノ富山で投手兼ヘッドコーチとして活躍する。13年限りでNPBから離れると学生野球の指導資格を回復。縁あって西純を高校1年から複数回、指導した。「阪神ドラフト1位右腕」で背番号15も同じ。プロへの道に導いた交流を「猛虎リポート」でお届けする。【取材・構成=酒井俊作】

       ◇   ◇   ◇

    人生には不思議な縁がある。雪化粧された立山連峰を見はるかす富山で首をかしげて言う。「まさか、背番号15を選ぶと思わなかった。空いている番号で、一番良かったのかな」。そう笑うのは、かつて阪神でプレーした藤田太陽だ。ドラフト1位。右投手。背番号15。20年前の自らと似た立場の西純に思いをはせた。

    00年ドラフトで阪神入りした藤田はいま、ロキテクノ富山で後進の指導にあたる。投手兼任だが「コーチの比重が99%」と言う。ヤクルトを13年に退団後、学生野球資格を回復すると、公認指導者として幅広く教える。ヤクルトなどに在籍した副島孔太の紹介で足を運んだ先が岡山市の創志学園だった。

    17年春。まだ線の細い高校1年生のキャッチボールを見て、息をのんだ。「なんだコレ…。コイツ、すげえな。すごい才能だなってね」。のちに最速154キロを誇り、2年夏の甲子園の16奪三振完封で脚光を浴びた西純との初対面を、こう思い出す。「球離れが違う。力が球にちゃんと伝わっている。腕の振りが8割でも球が10割いっていた」。変化球は未熟だったが直球の威力に衝撃を受けた。

    西純が1年生のころだ。藤田は助言を求められた。

    「スライダーがちょっとゆるいんですよね」

    藤田が「どういうスライダー投げたい?」と問えば明快な答えが返ってきた。

    「角があるスライダーを投げたいと思っています」

    西純の球の握りを見た。藤田は「ちょっとカーブみたいな握りだった」と振り返る。球威十分に打者の手前で鋭く曲がる理想の軌道がある。ノウハウを伝えた。

    「最初は投げられていなかった。でも、自分で練習したのでしょう。曲がりがよくなりましたからね」

    19年10月18日。西純が阪神にドラフト指名された翌日は偶然、創志学園での指導日だった。藤田が祝福すると「プロって、どんな環境ですか」と聞かれた。

    「みんなが思っているよりシビアだよ。自分が150キロ投げられても、それよりスゴイ化け物がいっぱいいる。それでも自分を見失わずにやるのが大事。必ず自分のペースを守って、思っていなくても勝手にオーバーワークになる。絶対に焦ったらダメ。とにかく自分がどういう選手になりたいか、忘れずにやってね」

    そして、背中を押した。「西君の持っている能力は間違いないから、頑張ってね」。藤田は阪神時代、即戦力右腕として期待され、開幕ローテーションに入ったが、投球フォームで試行錯誤し、右肘の故障に泣いた。西純への言葉は、厳しい世界で戦った者しか分からない実感がこもっていた。

    「1人の男の子が大人にちゃんとなっていく。夢を自分でつかんだ。そこが一番、素晴らしい。何よりもケガなく頑張ってほしい」

    藤田は昨秋、かつて同僚だった阪神1軍投手コーチの福原忍にLINEで連絡した。「フクさん、西君、お願いしますね!」。自らも頂点を目指した、あの険しい道に進む教え子がいる。藤田はもう1度、夢を見る。(敬称略)

    ○…西純は昨年冬、阪神入団が決まったあとに、藤田氏との交流を明かしていた。創志学園入学直後に投球指導を受けたといい「スライダーのいまの握りは、藤田太陽さんのカットボールの握りでやっています」と話した。消えると激賞された鋭いスライダーは背番号15の先輩からの直伝だ。

    ○…藤田氏は15年冬から、産業用精密ろ過フィルターなどの製造・販売を手がけるロキグループ(東京都品川区)の社会人硬式野球クラブ「ロキテクノ富山」で指導する。19年に入社。経営企画室で広報や広告宣伝を担当し、グループ会社のトロイカジャパンが扱うグッズの提案をNPB球団に行う。東京と練習拠点の富山を往復する生活だ。ロキグループ会長でもある伊東伸オーナーに「全国に出られるチームを作ってほしい。やるからには勝ってほしい」と託された。藤田氏は「会長の強いリーダーシップとチャレンジ精神に感銘を受けて入社を決めました。最高の室内練習場も造っていただいた」と話す。18年の全日本クラブ野球選手権で全国初出場。北信越を代表するチームを目指す。

    ◆藤田太陽(ふじた・たいよう)1979年(昭54)11月1日、秋田市生まれ。新屋から川鉄千葉(現JFE東日本)をへて、00年ドラフトで阪神に逆指名1位で入団。01年開幕戦の巨人戦でデビューした。09年7月にトレードで西武に移籍し、セットアッパーを務めるなど開花。12年10月に戦力外通告を受けて13年はヤクルトへ。同年限りで退団した。NPB通算156試合13勝14敗4セーブ。15年からロキテクノ富山に加入した。学生野球資格を回復し、日本プロ野球OB会公認技術指導者資格も持つ。187センチ、95キロ。右投げ右打ち。




    教え子の成長を目の当たりにできるのは、嬉しいでしょうね! 阪神西純矢と藤田太陽氏プロへの交流、背番15の縁  https://www.nikkansports.com/baseball/news/202004130000323.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp  @nikkansportsさんから


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     熱い思いとともに、新たな一歩を踏み出した。阪神、西武、ヤクルトで活躍した藤田太陽氏(39)が2月1日付けで株式会社ロキグループに入社。「経営企画室、経営企画グループ、広報・広告宣伝担当」として配属され、多忙な日々を過ごすこととなった。

     「“チームをもっと強くしたい”“もっと会社のことをアピールしたい”という思いがずっとありました。近い将来、企業チームになることがあれば、選手たちを都市対抗の東京ドームへ連れて行きたいという夢があります。そのためにも自分が同じ会社の一員となることで多くの時間を共有しながら、選手たちを育てていきたいな、と」

     言葉の端々から、揺るがぬ決意があふれ出た。2015年12月に同社が持つクラブチーム「ロキテクノベースボールクラブ」に外部コーチ兼選手として入団。チームの拠点がある富山と東京を行き来しながら、チームの強化に全身全霊を傾けてきた。

     「彼らはまだ失敗を恐れる立場じゃない。常にチャレンジしてほしい。トーナメント特有の難しさはありますが、攻撃は最大の防御ということです」

     18年からは総合コーチとして、本業の投手だけではなく、打者の指導も任されるようになった。12年間に及んだプロ野球人生。豊富な人脈から得た打撃理論を注入するだけではなく、投手目線からの配球、駆け引きを伝えることで、野手陣の強化も並行した。

     指導者としての引き出しを増やすべく、多方向にアンテナを張る。経験論を語るだけではなく、心理学を学び、4スタンス理論を提唱する広戸総一氏の下へも地道に通った。取り組みはやがて実を結び、同年9月に開催された全日本クラブ野球選手権に初出場。初戦で逆転負けしたものの、チームの歴史を塗り替えた。

     「プロでは同学年の阪神・能見、ヤクルト・石川が第一線で頑張っている。仕事と野球を全力で頑張ることで、彼らと対等に話せる自分でありたい」

     同社は東京都品川区に本社を置き、産業用精密濾過フィルターおよび濾過装置などの周辺機器を製造する株式会社ロキテクノをはじめとするグループ会社を管理統括している。環境問題、社会貢献にも積極的に取り組む。グループ会社の一つにトロイカジャパンを有しており、ドイツに本社を置くトロイカ・ブランドをはじめ、クオリティーの高いメタル・デザインウェアやヨーロッパ各国の洗練されたデザインギフトの輸入、販売を手がけている。藤田氏は企業向けノベルティの営業にも携わっていくという。

     「平日は東京、週末は富山という二重生活ですが、本当にやりがいがある。こういう環境を与えていただいた伊東会長と会社には本当に感謝しています。なんとしても恩返しをしたいし、野球を通じて会社の名前を広めていきたい」

     プロでの現役時代はたびたび故障に見舞われならがも、不屈の闘志で困難を乗り越えてきた。フィールドは違えど、物事に向き合う真摯な姿勢は変わらない。力強く、逞しく、大いなる未来へ向かって――。力の限りを尽くす戦いが始まった。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190208-00000090-spnannex-base



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