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    野村監督

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/04/05(日) 12:45:44.30 ID:jGzggjfe9
    ヤクルトでは選手と監督、楽天ではヘッドコーチとして野村氏に仕えた橋上秀樹氏

    選手として、ヘッドコーチとして、野村克也氏の薫陶を受け、野球の戦術に磨きをかけてきた。
    巨人、西武でもコーチを務めた橋上秀樹氏は名将から多くの言葉を聞いてきた“参謀”の一人。
    その中でも忘れられない一言がある。「本当は巨人の監督をやってみたい」――。
    想像しただけでも、どんな野球をやっていただろうか……と胸が躍るような気持ちになる。

    現役時代にはヤクルト、阪神で野村氏の下で戦い、07年から09年は楽天のヘッドコーチとして監督に仕えた。
    これまでも著書やインタビューで戦術の裏側や、時には“ぼやき”の真実を明かしてきた橋上氏に改めて名将に寄り添った日々を振り返ってもらった。

    野村氏は“貧乏くじ”という表現をよく使っていた。ヤクルトや阪神、そして楽天と最下位、もしくは、万年Bクラスのチームの再建を託されることが多かった。
    それでもヤクルトを優勝や日本一に導いた。阪神や楽天は後に優勝するなど、その礎を築いた。

    楽天の監督時代だった。橋上氏は冒頭の言葉に驚いた。

    「本当は巨人の監督をやってみたい。戦力が整ったところで1回、監督をやってみたい。そこで満足できるのかどうかを確認してみたいんだ。でも、やっぱり私は貧乏性だから、そういうところでやったら、飽きちゃうのかなぁ……」

    現役時代は距離が近くなかったが、楽天のヘッドコーチ時代は野村氏の本音に触れていた。「私にとってのスーパースターは川上哲治さん」とも言っていたという。
    王貞治、長嶋茂雄は“ひまわり”、自分はひっそりと咲く“月見草”と表した言葉は有名だ。巨人という存在は野村氏にとっては特別だった。

    原監督に戦略的な部分で策を進言も「橋上、ここはジャイアンツなんだ」

    野村氏は着ることがなかった巨人のユニホーム。橋上氏はリーグ優勝を逃した巨人から2011年オフにオファーを受けた。原辰徳監督のもと、常勝軍団でコーチを務めることになった。
    橋上氏と時を同じくして、村田修一、杉内俊哉をFAで獲得するなどチームは選手を補強。2012年に3年ぶりのリーグ優勝と日本一に輝いた。2014年まで3年、在籍したが、その間に巨人はリーグ3連覇を果たした。

    巨人のユニホームの重みを感じた3年間でもあった。整った戦力の中で、負けることが許されない雰囲気を味わい、勝ち方にもこだわりがあることを感じた。橋上氏は野村監督と原監督の下で戦った経験をこのように振り返る。

    「野村さんは極端に言うと、勝つことが最優先。あの手この手を使ってでも勝てばいいんだという考え方。原さんは同じ勝つことが目標ですが『ジャイアンツなんだから、横綱相撲で勝たないといけない』と言っていました」

    巨人時代、戦略的な部分で策を進言したところ「橋上、ここはジャイアンツなんだ」と諭されたことがあったという。

    「言い方が悪いかもしれませんが、私が提示した“姑息なこと”をしてまで、勝ってはいけないという考えを持っておられたのだと思います。
    『ファンを失望させるような勝ち方はしたくない』とも言っていました」

    この常勝軍団の考え方は「野村さんには通用しない」と橋上氏は断言する。しっかりと相手を寄り切るのが原監督ならば、野村監督は勝てない相手には四つで組むな、という考え方だからだという。

    「プロなんだから、勝てばいいんだというのが野村さんの考え。そこをちょっと考えた時、巨人の監督としてどうだったかなと……。
    原さんみたいな考え方が(巨人の監督を)やる人の考えなんだなと思いました。ただ、お2人ともタイプは違えど、歴史に残る名将であることは間違いない。
    そんな2人の名将のもとで仕事ができたことは私にとって大きな財産となっています」


    https://news.livedoor.com/article/detail/18059201/
    2020年4月2日 11時10分 フルカウント

    2: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/04/05(日) 12:46:18.91 ID:jGzggjfe9
    ワンポイント継投に、大胆な先発隠し……野村監督は勝つ手段を選ばなかった

    野村監督は阪神の監督時代、1イニングの中で左腕の遠山奬志投手と右下手投げの葛西稔投手を相手打者の左右に合わせ、投手と一塁手で交互に起用した。それは「遠山・葛西スペシャル」という周囲を驚かせる采配で話題となった。他にも偵察メンバー(出場させる予定のない選手を先発メンバーに入れ、相手投手の左右によって選手を代える作戦)を入れる手段を取るなど、“弱者の兵法”で戦ってきた。

    「野村さんは“姑息”だとは思っていないんでしょうが、あれをやったらジャイアンツファンに受け入れられたかどうかはわからないですよね」

    橋上氏がヘッドコーチ時代でよく覚えているのが、予告先発がなかった時代のセ・パ交流戦の巨人戦でやった“かく乱作戦”だった。

    「先発ピッチャーにわざと、ジャイアンツが球場入りしてくるタイミングでアメリカンノックをさせたんです。普通は試合前にやらないようなことをやりましてね……。ふたを開けてみたら、その投手が先発でした」

    アメリカンノックとは、右翼(左翼)から左翼(右翼)方向にダッシュし、左翼(右翼)に打たれたノックを捕球する練習方法。かなりハードな練習だ。普通ならば、このあと長いイニングの投球を期待する投手にさせる練習ではない。しかし、野村監督は奇襲を仕掛けた。相手の頭の中から、先発の可能性を消し、少しでも困惑させようとしたのだった。

    ノムさんが行った奇襲は挙げ出したらキリがない。

    「あれで負けたら、とんでもないバッシングを浴びていたと思います。弱者がやるにはアリなんですよね。戦力が整ってないという考え方の中で生まれる作戦。あの手、この手を使わないと強いチームには勝っていけないだろうということなのです」

    もう実現することはない“巨人・野村克也監督”。野村監督に長く仕えた橋上氏に聞いた。「どうなっていたと思いますか……」

    「見たかった気持ちもしますけど、あんまり長くはできなかったんじゃないでしょうか。あんまり魅力的なチームにならなかったんじゃないかなと思います」

    橋上氏の言うような結果だったかもしれない。「ひまわり」に対して自らを「月見草」と呼び、「失敗と書いて成長と読む」など弱者の立場になって戦う様は、野球界だけでなく、世の人間の心の支えになったことは間違いない。巨人の監督をやらなかったことは必然だったのかもしれない。それが生き様であり、名将の魅力を増幅させたと言っていい。野村監督の功績が色あせることはない

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1586058344/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/03/16(月) 14:07:05.67 ID:VaKOCZKca
    有能か無能かどっちなんだろ

    6: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/03/16(月) 14:08:24.26 ID:E8wk2snhp
    阪神で何にもしてないし、結局は選手の差よ

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1584335225/

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/02/15(土) 23:55:42.85 ID:rzvmwseXa
    新庄にヤキモキしてた印象しかないわ

    4: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/02/15(土) 23:56:56.27 ID:wz1QKjFj0
    遠山葛西遠山の継投のイメージしかない

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1581778542/

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    阪神、巨人でプレーした元投手のダリル・メイ氏(47)が13日、阪神在籍時の指揮官だった野村克也氏の訃報に接し、日刊スポーツにコメントを寄せた。

    「野村さんのご家族の皆さんに、謹んで哀悼の意を表します。どうか安らかにお眠りください」

    同氏は98年途中から阪神に在籍し、99年に就任した野村監督のもとでプレーした。ところが好調を維持しながら2軍落ちを命じられ、怒りを爆発させた。球団に自由契約とするように要求し、野村監督を批判するビラを作成。「私は彼に敬意を払っているが、私には払わない」などとつづって報道陣に配るという、前代未聞の暴挙に出た。球団は「同年中の謹慎」「年俸20%の罰金」を科し、メイ氏はそのまま退団した。

    翌00年には巨人に移籍。阪神戦では、何度も打席を外した和田に向かって危険な球を投げつけるなど、遺恨は続いた。同年12勝を挙げる活躍を見せ、阪神ファンを悔しがらせた。

    その後メジャー復帰し、06年に現役引退。米国テキサス州に住み、大学野球部のコーチなどを務めた。さらに日本球団の駐米スカウト就任を志望し、日本語を勉強するなどしていたという。




    メイにコメントを取りに行く日刊スポーツはなかなかアレですな #hanshin #tigers /元阪神メイ氏「安らかに」現役時遺恨の野村さん悼む  https://www.nikkansports.com/baseball/news/202002130000748.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=nikkansports_ogp  @nikkansportsさんから





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     野村克也さんの訃報を受け、元阪神で日米通算95勝を挙げた井川慶氏も悲しみに暮れた。ここ数年は顔を合わせる機会がなく「テレビでお元気な姿を見ていただけに、とてもビックリしています」と肩を落とした。

     阪神監督時代の01年に、先発ローテーションに抜てきされたことが井川氏の人生を変えた。「ファームでも成績を残していなかったのに、1軍で使って頂いた。だから独り立ちできた」。前年まで通算2勝だった左腕の潜在能力を認めたのが野村監督だった。次期エースに育てるという方針で、01年には29試合に登板させて9勝13敗。この経験が、最多勝に輝いた03年の20勝やその後の成績にもつながり、阪神のエースへと成長した。

     「当時は僕も若かったので、配球とか余計なことを考えずに捕手のミットめがけて投げろと言われた」という。一方で英才教育も受けており、「キャンプ中のミーティングは野球の細かい部分の話で、毎日すごく楽しかった。期待されていたのは伝わってきた」と恩師との日々を偲んだ。




    野村さん、阪神で20勝をするピッチャーを育ててくださってありがとうございました!!→井川慶氏 野村さんが人生を変えた…先発ローテ抜てき、虎のエースへ「期待されていたのは伝わった」 #SmartNews  https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/02/11/kiji/20200211s00001000355000c.html 



    ノーコンだった井川慶に当時の監督野村克也が言ったアドバイス 「ダーツするみたいに投げてみぃ」→覚醒


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