脳腫瘍から再起を期す阪神横田慎太郎外野手(23)が、復活へかける思いを明かした。現在は育成選手で背番号は124。鳴尾浜でリハビリの日々を送っている。16年の金本監督体制1年目で「2番中堅」として開幕スタメンを勝ち取った若虎。14年の入団当初から見守る平田勝男2軍監督(59)も横田の復活を願った。

かつて甲子園の大観衆の視線を一身に浴びた男が、その舞台へ戻るべく鳴尾浜で必死に汗を流し続けている。別メニューで打撃練習、守備練習、ウエートトレーニングを行っている横田が、今季を振り返った。

「今年は全く試合に出られず、すごく悔しかった。だけどいろんな練習にも参加させてもらって、いろいろ経験させてもらって、すごくうれしかったです」

今季は鳴尾浜で行われた2軍戦をベンチから見守った。守備につく外野手とのキャッチボール相手役を務め、ベンチでは人一倍声を出し仲間を鼓舞し続けた。10月18日に行われた監督就任会見で、楽しみな選手を「全員」と話した矢野新監督。加えて、「横田自身も試合には出られないけど、ベンチで一番声を出してやっている姿も見てきました」と話すシーンがあった。横田は「試合中は声しかアピールできなかったので。そう言ってもらえたことはすごくうれしかったです」と感謝した。

横田の復活を見守る目は他にもある。17年2月の沖縄・宜野座キャンプでの打撃練習を見守っていた平田現2軍監督(当時1軍コーチ)は、横田の異変に気づいたという。「空振りしたり、フライを打ったりしているのを見てて『あれ!?』と思ってさ。1年目から見てたから気づいたというかさ」。当時の首脳陣が病院での検査を促し、脳腫瘍が判明した経緯があった。今季は1軍チーフ兼守備走塁コーチを務め、10月下旬に現職に戻った平田2軍監督は、久しぶりに見る横田の練習する姿に「あいつの野球に対する真面目な姿勢は変わってない」とうなずく。

11月に入り鳴尾浜での練習後、虎風荘の風呂で平田2軍監督、新井2軍打撃コーチ、横田の3人で日本シリーズでの広島丸の本塁打の話題になったという。平田2軍監督は「『今こういう時にいろんなこと試してみたら』っていう話をしていて、『丸のヘッドが立ってたよね。あいつアウトコースを打つの右打者よりすごいよな』って話をした翌日から早速練習でやってたからさ。野球に飢えてると思うよ」と明かした。

横田は来季の目標として「1日でも早く試合に出ること、1日でも早く『背番号24』を取り戻したい。そうすることで病気で苦しんでいる方に少しでも力になれるようにやっていきたい」と覚悟を口にした。完全復活、そしてレギュラー再奪取へ歩みを進めている。【古財稜明】

◆横田慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身。父真之さんはロッテなどに在籍した元外野手。鹿児島実から13年ドラフト2位で阪神入団。垂直跳びで球界でも屈指の80センチを記録。3年目の16年3月25日開幕戦中日戦に「2番・中堅」でスタメンに抜てきされ、1軍戦初出場した。187センチ、89キロ。左投げ左打ち。

◆横田の闘病 16年には1軍戦38試合に出場した横田だったが、翌年17年2月11日に沖縄・宜野座1軍キャンプを頭痛のため離脱。検査の結果「脳腫瘍」と判明した。入院と加療を行い、順調に回復。同年8月30日には最終検査を行い、担当医からは症状が消えて安定した状態となる「寛解」と診断された。同年オフの11月に育成契約を結び、背番号も「24」から「124」に変更になった。今春の高知・安芸での2軍キャンプにも参加。2月16日には練習復帰後初の屋外ロングティー打撃を行い、17日にはフリー打撃で70スイングで3本の柵越えと、復活へ確かな足跡を刻んだ。4月27日にはシートノックで右翼の守備につくなど、徐々に体を慣らしてきた。


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日刊スポーツ
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