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    江夏豊

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     「阪神春季キャンプ」(19日、宜野座)

     阪神・能見篤史投手が、OB江夏豊氏の激励に感謝した。

     ブルペンではレジェンドの熱視線を浴びながら89球の熱投。「気迫のこもったいい球を投げていた。投手陣にとっては藤川同様絶対に必要」という言葉を報道陣から伝え聞くと「最後まで見ていただいてありがたかった。元気な姿を見せられて良かったです」と話していた。

     プロ16年目の能見は、5月に41歳となる。昨年はリリーフ投手として51試合に登板した。今季も戦力としてはもちろん精神的支柱としてチームに欠かせない存在として期待されている。




    阪神・能見、江夏氏の前で力投 5月で41歳 #エキスプレススポーツニュース  https://expsportsnews.tokyo/40590.html 


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     江夏、沈痛-。プロ野球の南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王となるなど選手、監督として活躍した野村克也さん(享年84)の死去から一夜明けた12日、南海で指揮官と選手としてともに戦った江夏豊氏(71)が、ソフトバンクのキャンプ地・宮崎で恩師の急逝に言及。沈痛な面持ちで「後ろ姿を見て育ってきた」と感謝の思いを口にした。

     ともに「革命」を起こした恩人は突然、天国へ旅立った。ソフトバンクのキャンプ地を訪れた江夏氏は、宮崎の曇天を寂しそうに見上げた。11日に急逝した野村さんへの思いを問われると、感謝と尊敬の念を口にした。

     「投げる方は(プロ野球史上最多400勝を記録した)金田(正一=国鉄、巨人)さん、野手なら野村さんがプロ野球を繁栄させた。その後ろ姿を見て、育ってきた」

     知人に会うために宮崎市内のキャンプ地に立ち寄った。工藤監督と言葉を交わして久々の現場を見守った後、恩師への思いを語った。

     大投手・江夏豊の歴史の中で、中興の祖といえる人物が野村さんだ。出会いは電撃トレード。1967年の阪神入団以降、6年連続で奪三振王に輝くなど大エースに君臨するも、血行障害や心臓疾患などで成績は徐々に下降。76年1月に江夏氏と望月充、南海は江本孟紀(サンケイスポーツ専属評論家)、島野育夫、長谷川勉、池内豊の2対4の大型トレードが成立した。

     事実上の放出に江夏氏は涙し、現役引退も考えたが、思いとどまらせたのが南海の選手兼任監督だった野村さん。投球術をほめてチームに迎え入れた。しかし、血行障害で50球も投げれば握力が落ちる。先発としては全盛期の力はない。だが、短いイニングなら-。1年目に思うような成績が出せなかった左腕を、風呂場で口説いた。

     「プロ野球に革命を起こしてみないか?」

     まだ投手の分業制が確立していない時代に、抑えへの転向をすすめた。自宅も近く、毎夜のように野球談義を交わす野村さんの説得で77年からリリーフに転向。193セーブを記録し、最優秀救援に5度も選ばれる史上最強ストッパー・江夏豊が誕生した瞬間だった。

     77年に野村さんが南海監督を解任されると「ワシは野村監督に拾われた人間。監督がやめる以上、俺もとどまるわけにはいかん」と言い、古葉監督に請われて広島へトレードで移籍。79、80年の日本一に貢献し、79年の近鉄との日本シリーズでは、1点リードで迎えた九回無死満塁の大ピンチを乗り切る「江夏の21球」という伝説も生んだ。それもこれも野村さんのおかげ。遠山奬志(阪神)、小早川毅彦(ヤクルト)、山崎武司(楽天)…。後に「野村再生工場」と呼ばれる手腕も、江夏氏と起こした革命がはじまりだった。

     「革命かはわからないけど、教えてもらったことは思い出だよ」

     11日の訃報は、早い段階で耳に入ってきた。最後に顔を合わせたのは昨年の東京ドームでの巨人-阪神戦。野村さんとのすべての思い出は宝物。寂しい、悲しいなどという言葉で、語り尽くせるはずもなかった。

     「簡単な言葉では…。残念でならない」

     2人で起こした革命は今や球界の常識となった。野村さんとの軌跡は、心からの誇り。球場を去るとき、江夏氏は寂しげにほほ笑んだ。




    江夏豊氏が、恩人・野村克也さんの死に沈痛。その思いを語りました。本日の大阪サンスポに掲載されています。よろしくお願いします。 #江夏豊 #野村克也 #ノムさん 野球情報はサンスポ  https://www.sanspo.com/smp/baseball/baseball.html  pic.twitter.com/lG5mxuZnMJ


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    「阪神春季キャンプ」(15日、宜野座)

     OBの江夏豊氏(70)が視察に訪れた。通算206勝、193セーブのレジェンド左腕は、到着するやいなやブルペンに直行。「オレはブルペンしか見ることがない」と、真っ黒なサングラス越しに投手陣の状態をチェックした。

     これまでOBや評論家として、2016年には臨時コーチとしても助言。この日は抑えに再挑戦する藤川の球筋を、捕手後方のネット越しから見守った。視察後は「ボールが若いよな。年々若返っている。異常体質だよ」と驚きの表情。「エースと抑え、4番は日本人に期待したい」などと話した。

     また、矢野監督ともあいさつをかわし、「巨人と阪神が低迷すれば、日本のプロ野球は盛り上がらない。東は巨人、西は阪神。その両チームがセ・リーグを、日本のプロ野球を引っ張っていく形が一番盛り上がる。それは自分がプロ野球界に半世紀かな、接してきて感じたこと」と、最下位からの巻き返しを期待していた。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190215-00000069-dal-base

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    1: 風吹けば名無し 2018/11/18(日) 12:52:04.83 ID:sQKJdOyMp
    1968年9月17日、甲子園球場における対巨人戦で、稲尾和久の日本記録を塗りかえるシーズン354奪三振を記録。
    試合に先立って江夏は、日本記録更新となる354個目の奪三振を「王(貞治)さんから取る」と公言していたことが当日の新聞に載っている。そして試合では、日本記録タイとなる353奪三振を王の打席で記録したが、江夏本人はこれで日本記録を更新したものと勘違いをしており、ベンチに戻ってから捕手の辻恭彦にそれを指摘されて初めて気がついたという。
    そこで後続の打者は全て意図的に凡打で打ち取り、再び王の打席が回ってきた時に、記録更新となる354個目の三振を奪う離れ業を実現してのけた。

    江夏によると、「森(昌彦)さんと高橋(一三)さんからは三振を取らないようにするのが、むしろ大変だった。特に高橋さんを2ストライクまで追い込んだのが一番困った」という。しかもこの試合では、延長12回に自らサヨナラヒットを放って試合に勝利を収めている。この試合の様子にも表れているように、江夏は王から三振を奪うことに取り分けこだわっていた。これは村山実が節目の記録となる三振を常に長嶋茂雄から奪うようにしていたことを真似たものである(新人時代に村山がONを指さして「お前の相手はあれ〔王〕、俺はこっち〔長嶋〕や」と、王をライバルとするよう命じられたともされている)。
    これ以降も江夏は王との勝負に固執し、通算で57個もの三振を奪ったが、直球で勝負を挑んでいたために20本の本塁打も打たれている。王から最も多く三振を奪った投手は江夏だが、江夏から最も多く本塁打を打った打者もまた王である。そしてこのシーズン、江夏は最終的な奪三振記録を401個にまで伸ばした。これは現在でも日本プロ野球記録であり、また世界記録として認定されていないものの、MLB記録(ノーラン・ライアンの383個)をも上回っている。


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    https://ja.wikipedia.org/wiki/
    江夏豊

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1542513124/

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