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 20年11月に右肘のトミー・ジョン手術を受け、現在は育成選手として再起を目指している阪神・才木浩人投手(23)。そんな故障に苦しむ右腕を近くで見てきたのが須磨翔風高時代のチームメートであり、現在はデイリースポーツ・阪神担当の北村孝紀記者(23)だ。今オフには才木の球を受けて再起の予兆を感じたという。だれよりも復活を願う北村記者が球友にエールを送った。

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 今季に懸ける才木の思いが、ミット越しに伝わってきた。右肘のリハビリも順調に経過し、ブルペンでも投げられるようになった昨年末。球の回転数などを測定する機器「ラプソード」の計測を行うため、母校で約6年ぶりに才木のブルペン捕手を務めた。右腕からたたき付けられた直球は地をはうように浮き上がった。冷たい風が吹く中、タブレットに表示された2500回転、球速145キロの数字。真っ赤に腫れた私の左人さし指が再起の予兆を物語っていた。

 18年の高卒2年目のシーズン。19歳にして6勝を挙げ、虎の未来のエース候補としてブレークした。ただ、そこからは故障との闘い。右肘の痛みをこらえながら2軍の試合で投げ続けた。結果を残さないと1軍に上がれないと、もがき続けたが、投げるたびに患部は腫れて痛みは増すばかり。血流は悪くなり、肌の色は徐々に青黒くなっていった。「手術前が一番つらかった」。治る兆しが見えない日々に絶望した。

 球団からの提案で一昨年11月にトミー・ジョン手術に踏み切り、育成契約となった。ギプスを巻いて固定された右腕。歯磨き、食事も全て左手で行った。「左手を使うのも脳トレになる」とポジティブに捉えたが、知らず知らずにたまっていくストレス。一晩中痛みと闘うこともあった。

 「野球してー」。投げられない日々が続く中、悲痛なつぶやきの数も増えた。かつては期待の若手として東京五輪日本代表監督を務めた現日本ハム・稲葉篤紀GM(49)から名前が挙がったこともあったが、まともにボールすら投げられない現状を受け入れるしかなかった。発表された五輪メンバー表に目を通した時は「やっぱこーゆーの見たら悔しいなー」と本音が漏れた。

 ただ、どんな逆境も力に変えてきた男だ。才木と記者は高校時代、バッテリーを組んでいた時期もあった。同級生がエースを務める中、才木は控え投手。それでも夢を持ち続け、「俺、プロなるわ」の言葉を下校中に何度も耳にした。

 有言実行。地味な体幹トレーニングにも鬼のような表情で取り組み、プロになるという夢をつかんだ。初勝利は18年、甲子園での巨人戦。マウンドで躍動し、満員の聖地を沸かせる背番号35の姿をスタンドで見ていた記者は、かつての仲間が徐々に遠い存在になっていくことを肌で感じた。当時は才木にこんな苦難の日々が訪れるとは思いもしなかった。

 才木がずっと聴き続けている歌がある。気持ちを奮い立たせる一曲、Mr.Childrenの「終わりなき旅」だ。前向きな言葉がつづられている中でも、特にお気に入りなのが曲の終盤にあるこのフレーズ。「嫌なことばかりではないさ、さあ次の扉をノックしよう」。車の中、トレーニング中でもこの曲を流し、再起に向けて着実に進歩している。

 プロ入りから毎年母校での自主トレを見届ける高校の恩師・中尾修監督(57)は、今オフの才木の投球を見て「プロに入ってから、一番体の動きがいいんじゃないか」と復活を予感した。聖地の大歓声を浴びる姿をもう一度-。阪神担当、同級生として、強く願っている。

 ◇才木 浩人(さいき・ひろと)1998年11月7日生まれ、23歳。兵庫県出身。189センチ、88キロ。右投げ右打ち。投手。須磨翔風から2016年度ドラフト3位で阪神入団。17年10月5日・中日戦でプロ初登板(救援)。18年は登板22試合で6勝10敗1ホールド、防御率4.61。20年11月に右肘のトミー・ジョン手術を受け同年12月に育成契約。昨年は1、2軍共に登板なし。

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