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    元阪神

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    今季限りで現役引退した元阪神の岩田稔氏(38)が自身のインスタグラムを更新し、「ガリクソン賞」の受賞を報告した。

    「ガリクソン賞」は1型糖尿病を抱えながら巨人在籍2年間で計21勝、大リーグ通算162勝を記録したビル・ガリクソン氏(62)の名前にちなんだ賞。同病患者で一般社会、スポーツ、文化、科学、芸術などで活躍した人、キャンプスタッフとしての貢献が著しい人に対して、日本糖尿病協会から贈られる。

    岩田氏はインスタグラム内で表彰状の写真をアップし、「まだまだ1型糖尿病は認知度が低いので、これから国民に認知されるように、根治に向けての研究が進んでいくように、地道にいろいろ活動していこうと思います」などとコメントした。

    岩田氏は大阪桐蔭2年冬に1型糖尿病を発症。阪神入団後は08年から患者との交流会、病院訪問などに尽力している。09年からは同病患者・家族の支援団体「日本IDDMネットワーク」を通じ、1勝につき10万円を「1型糖尿病研究基金」に寄付。創設した「岩田稔基金」は同病根治を目的とした研究助成に使われている。

    阪神では通算60勝82敗、防御率3・38。今後も1型糖尿病の啓発活動を続けていく。





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    MLB公式の取材に応じたマートン氏、来日当初は批判を浴びたという

     2010年から2015年まで阪神に6年間在籍し、2010年にNPB歴代2位のシーズン214安打を放つなど活躍したマット・マートン氏がMLB公式サイトのインタビューに応じ、日米の野球の違い、適応できた理由などについて語った。首位打者1度(2014年)、最多安打3度(2010、11、14年)の実績を誇るヒットメーカーは、米国とは正反対だった投手の攻め方に当初は手を焼いたという。

     マートン氏はNPBで輝かしい実績を残した。阪神在籍6年間で通算1020安打、通算打率.310。入団1年目の214安打は1994年にイチロー氏がマークした210安打を塗り替え、2015年に秋山翔吾(当時は西武)が216安打を放つまでNPB年間最多だった。現在もセ・リーグ、外国人、右打者としては最多の数字。マートン氏は、日本の投手の投球スタイルに対応するため根本的に考え方を変えたと語っている。

    「米国では1-0、2-1、3-1といった打者有利のカウントになれば速球を狙うことができるが、日本では正反対なんだ。彼らはそういったカウントで変化球を投げることをいとわない。速球を投げるのは0-1や1-2といったカウントなんだ。日本から米国に来る選手は配球や投球についてのメンタリティを完全に変えないといけない。逆もしかりだ」

     マートン氏は2005年から2009年までマートン氏はカブスなどでプレーし、MLB通算346試合、272安打の実績を残して日本に乗り込んだ。しかし、日本野球に適応するには一定の時間を要した。春季キャンプでは苦戦し、メディアから「この男は成功しない、上手くいかない」と評されることもあった。

    投球スタイルの理解、球団のサポート、謙虚な姿勢が成功を生んだ
    「スプリットやフォークの“奥行き”を理解すること、それを乗り越えることが私史上最大のチャレンジだったかもしれない。キャンプ当初はそれができず、いいパフォーマンスができなかった。批判も受けた。振り返ってみると、あそこで成功の糸口を見つけることができなかったら、私のキャリアは終わっていたかもしれないね」

     球団の手厚いサポートも助けになったという。阪神はマートン氏一家のために住居を手配。当時妊娠していたマートン氏の妻の日常生活を助けるために通訳が用意された。マートン氏も日本に溶け込もうと努力した。米国を離れて日本でプレーした元選手や日本で働くビジネスリーダーたちの話を聞いた。時に傲慢な外国人選手がいるという評判を聞いていたことから「そんな選手にはなりたくなかった」と振り返る。

     さらに助けになったのがマートン氏と同じ2010年に阪神に加入した城島健司氏(現ソフトバンク球団会長付き特別アドバイザー)の存在だった。2006年から2009年までマリナーズに在籍した城島氏は「私に手を差し伸べてくれた」とマートン氏。「それはとても大きなことだった。いつも『調子はどう?』って感じで様子を確認してくれたんだ」と感謝を示している。

     阪神を退団したマートン氏はマイナーでのプレーを経て2018年1月に引退し、その後はカブスのフロントオフィスでも勤務。MLBとNPB間の違いについての見地を持つ貴重な存在だ。最近は、米国で高校の野球チームのコーチを務めているという。

    Full-Count編集部




    😆元阪神マートンが語った日本球界への感謝と大記録樹立への想い「批判も受けた。あそこで成功できなければ、私は終わっていた」(THE DIGEST)  https://news.yahoo.co.jp/articles/19ffda36b6d1e16208b615087fde4885886a2d61 



    元阪神マートン氏が語る“成功”の要因 日米の違いと「手を差し伸べてくれた」同僚は(Full-Count) - Yahoo!ニュース 素敵やん  https://news.yahoo.co.jp/articles/b93795c8b1619f012e32209bb232c8f83b83ae8f 


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2021/11/22(月) 12:47:35.42 ID:lAMzMLGTp
    昨季終了後に阪神から戦力外となり、12球団合同トライアウト、ワールドトライアウトに挑戦。今年に入って中信と契約を結んだが、渡台するなり新型コロナウイルス感染拡大のためリーグ戦は中断された。うってつけの調整期間と前向きに捉え、2軍で研鑽を積んだ右腕がようやく1軍昇格を果たしたのは10月8日のこと。それでも「手放しで喜べる状況ではない。まだチャンスを与えられただけですから」と状況を見る目は冷静だった。

    台湾デビューを飾ったのは昇格2日後、10日の富邦ガーディアンズ戦。5点リードの7回1死満塁で2番手としてマウンドに上がると、先頭に中犠飛で1点を許し、続く8回も2死から1点を失った。結果は1回2/3を投げ、2安打2奪三振1四球1失点。初ホールドもつくなど合格点にも思えたが翌11日、29歳右腕は戦力外となった。

    CPBLで1軍登録できる外国人選手枠は4つだけ。高野が1軍にとどまるためには、初登板から完璧なピッチングを見せる必要があった。本人が予想した通り、次のチャンスを掴むためのチャンスを与えられただけ。そして、そのチャンスを掴みきれなかった。
    (中略)

    もう1度NPBで、という思いを持ちながら、帰国後は自宅近くの公園で練習を続ける。練習相手はいない。

    「球技をしてもいい広場があるので、そこにネットを立てて投げています。たまに妻も一緒に付き合ってくれるんですけど。周りから見たら、そこまでするか、という環境かもしれませんが、やっぱり野球が好きだということを確認できたし、台湾で投げた最後の登板で自分の投げる球が通用するものになってきたという感覚を掴めたので」
    https://news.yahoo.co.jp/articles/1ea2ffc40c144c13b43b7386c7d38ce159c03af4

    2: 名無しさん@\(^o^)/ 2021/11/22(月) 12:48:22.05 ID:Zl0p939/a
    独立リーグもないのか



    引用元: https://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1637552855/

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     2021年シーズン、大谷翔平(エンゼルス)がメジャー4年目にしてついに本領を発揮し、満票でア・リーグMVPに輝いた。メジャーリーグ公式サイトのマイケル・クレア記者は大谷がメジャーに「適応」したことに注目し、大谷とは逆にメジャーから日本プロ野球に「適応」した選手として元阪神タイガースのマット・マートンを特集。マートンは現在、故郷に戻り、元パドレスのチェイス・ヘッドリー(2012年ナ・リーグ打点王)らとともに高校野球チームのコーチを務めているという。

     マートンは大谷と同様、移籍当初は新しいリーグへの「適応」に苦しんだという。「適応」が完了するまでに時間を要し、新聞記事や試合中継で「この選手が成功するとは思えない」と言われたこともあった。しかし、アメリカの投手が不利なカウントでギアを上げた速球を投げてくることが多いのに対し、日本の投手は不利なカウントで変化球、有利なカウントで速球を投げることが多いことを学ぶなど、徐々に日本の投手に「適応」して本領を発揮。阪神ファンの心を掴むまでにそれほど時間はかからなかった。

     日本プロ野球で活躍するためには、日本の投手への「適応」だけでなく、日本での生活への「適応」も必要だったという。球団は住宅や通訳を用意するなど最大限の手助けをしてくれたため、マートンは感謝しつつも「これで実力を発揮できない言い訳ができなくなった」とも感じていたそうだ。また、「来日する外国人選手は傲慢な人が多い」という噂を聞き、そうならないように努めた。メジャー経験者の城島健司の存在も大きく、マートンは「いつも手を差し伸べてくれた。いつも気にかけてくれていた」と振り返る。

     マートンは「自分にシーズン安打記録更新のチャンスが与えられたのは、2004年にイチローがシーズン262安打のメジャー新記録を樹立したことが大きかった」と語る。メジャーの投手たちがイチローに記録更新のチャンスを与えたことで、自分自身に日本でイチローの記録を破るチャンスが与えられたと考えているのだ。「イチローの新記録樹立は、日本の多くの人々の視点や考え方を変えたと思う」とマートン。シーズン214安打の記録は5年後に秋山翔吾に更新されてしまうが、マートンは秋山を祝福した。

     大谷については、当初「打者よりも投手として期待していた」という。コンスタントに95~96マイルを投げ、ときに100マイルを計測する大谷のピッチングに大きなインパクトを受けていたそうだ。しかし、今季の大谷の大活躍を目にして「彼のオフェンスがどうなるか気になっていたけど、もうその必要はないね」と考えを改めた。自分自身が日本に「適応」して活躍したように、メジャーに「適応」して素晴らしいパフォーマンスを見せる大谷。「メジャー346試合出場から日本のレジェンドになった」マートンは、その活躍を故郷から温かく見守っている。



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     阪神で16年、ロッテで2年を過ごし、今季限りで現役引退を表明した鳥谷敬氏(40)が16日、ABCテレビの朝の情報番組「おはよう朝日です」(月~金曜前5・00)に出演した。

     視聴者からの「どうしても試合に出たくないと思ったことはありますか?」という質問に対し、鳥谷氏は「朝起きた時は、毎日思ってます」と意外!?な答え。「基本的には朝起きたら行きたくないなって。大変なんで」と淡々と答えた。

     18年間の現役生活で通算2099安打をマーク。歴代2位となる1939試合連続出場を記録した鉄人。プロでも屈指と言われた練習量について聞かれると、「早く行って、試合前の時間を使って、何とか試合に挑むっていう気持ちを一生懸命整理するために、誰よりも時間がかかったので、誰よりも早く行った」と説明。さらに「“きょうはええか…”とは思わない?」と問われ、「毎日思ってます。でも、行かないといけないな、みたいな」と苦笑いを浮かべた。

     ここで阪神でチームメイトだった浜中おさむ氏(43)が鳥谷氏のすごさに言及。「出続けることと、ここまでできたこと(の理由)は準備力の高さだと思う。ナイターは6時ぐらいからですけど、10時ぐらいから走ってるんですよ」と回想。「それだけできる選手はなかなかいなかったですし、大山とか梅野とかがマネしてやっていった。そういったところが素晴らしいと思います」と続けて、鳥谷の考え方が今の阪神に受け継がれていることを喜んだ。




    ⇒ナイターは6時ぐらいからですけど、10時ぐらいから走ってるんですよ」と回想。「それだけできる選手はなかなかいなかったですし、大山とか梅野とかがマネしてやっていった。 元阪神・鳥谷敬氏 誰よりも早く球場入りした理由とは? #Yahooニュース  https://news.yahoo.co.jp/articles/3d71fb241e835487ab4378c2125bf0d85d47e995 



    おはよう朝日です 元阪神の鳥谷敬選手が生出演 2003年自由獲得枠で阪神タイガース🐯入団 歴代2位1939試合連続出場➡️鼻骨を折っても 試合に出続けた不屈の精神。誰よりも早く球場に行き練習を Q 野球人生の中で一番思い出に残ってる試合は⁉️ A 通算2000本安打 pic.twitter.com/J5a8oqqqrc


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