プロ野球の南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王を獲得するなどいずれも歴代2位の通算2901安打、657本塁打を放ち、監督としても歴代5位の通算1565勝を挙げたサンケイスポーツ専属野球評論家の野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳。
選手・野村は1954年、京都・峰山高から南海に契約金ゼロのテスト生として入団。1年目はわずか11打席ノーヒットで戦力外通告を受け、「南海電車に飛び込みます」と訴えて現役続行となったほどだった。
3年目の56年、ハワイキャンプで鶴岡一人監督の目に留まり、正捕手に抜擢(ばってき)された。翌57年に初の本塁打王。その後の成長を促したのは、鉄腕・稲尾和久(西鉄)との知恵比べだった。
わずかな指の開きの違いを見つけ、稲尾の武器、スライダーとシュートの球種を読み切った。稲尾がそのくせに気づくと、今度は相手捕手の配球データを調べ上げ、好投手攻略につなげた。
広瀬叔功、皆川睦雄、杉浦忠らと南海の黄金期を築き、59年に巨人に4連勝して日本一。61年から8年連続の本塁打王となり、65年に戦後初の三冠王に輝いた。
【ノムさん 契約金0から頂点に】
https://yahoo.jp/hZpYrs
プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が死去。契約金なしのテスト生からはい上がり、1965年には捕手として史上初めて戦後初の三冠王など、輝かしい成績を残した。
ノムさんはどうしても知将の業績で語られちゃうけど、極貧から這い上がり、全くの無名からテスト生入団して、右打者で捕手で、尚且つ、34歳から兼任監督をやってこの数字。日本職業野球のNO1選手でしょ。凄まじい。金やん同様、放送関係者は選手時代の動画を血眼で探すべし。
https://twitter.com/npb/status/1227443244377788416?s=21 …