2020年10月31日。観客入場者数の制限が緩和された横浜スタジアムには黄色いユニホームを身にまとったファンが詰めかけた。クライマックスシリーズもなくセ・リーグの優勝はほぼ巨人が濃厚という状況にも関わらずビジター球場に多くの虎党が集まったのは、引退を表明していた藤川球児が迎える横浜スタジアムでの最後のカードだったからだ。
「奇跡としか言いようがない」藤川球児と大和の1打席
試合は陽川のグランドスラムなどで序盤から阪神ペース。9回表で13-3と大量リードだった。藤川球児は9回2死、ランナーを2塁に背負った場面で登板した。ファンのみなさんはご存じの通り、結果は元同僚DeNA大和に2点本塁打を浴び、次の中井から三振を奪って横浜スタジアムでの登板を終えた。9年間チームメイトだった戦友との1打席はあらかじめ準備されていたものだとばかり思っていた。しかし実際は幻に終わっていたかもしれないという。
「本当は中井のところで行くって言われて裏で準備しててん」
驚いた。藤川球児が登板した時、打順は2番、この日プロ初スタメンで名を連ねていた高卒ルーキー森敬斗だった。中井は次の3番。もし森がアウトになっていればそこで試合終了。藤川球児と大和の1打席は実現しない可能性があった。しかし現実は違った。「まわってきたらいいなぁとは思っていたけど……球児さんが出てくるとなってベンチを覗いたら青山ヘッドコーチと目が合って『行け!』って」。森に代打、大和が告げられた。
ファンはもちろん大和本人にとっても夢のような時間だった。
「ほんと奇跡よ。奇跡としか言いようがない」
これまでの対戦成績はDeNAに移籍してからの3年間で10打数1安打。2020年シーズンに入って単打1本を放ったのみだった。「奇跡」と表現したのは、藤川の最後の横浜スタジアムでの登板であるその打席に立てたこと、さらに結果が本塁打であったこと、そしてプロの世界に足を踏み入れた18歳の前田大和には想像もつかないような出来事だったからだ。
「ストレートでどんどん勝負しようなと約束していた」
JFKの大活躍で阪神がリーグ優勝を果たした2005年のドラフト会議で高校生4巡目で指名された。火の玉ストレートをテレビで観ていた高校生の一人だった。前田少年にとっても藤川は憧れのプロ野球選手だった。入団4年目の2009年に1軍デビューを果たすと、次第に藤川の背中をみながら守る機会も増えていった。
「真っ直ぐ(ストレート)とわかっていても空振りする打者をみてきて、どんな真っ直ぐなんって思っていた」
これまではチームメイトとして紅白戦での対戦はあっても、公式戦で違うユニホームを着て相対するとは考えたこともなかった。「自分がFA権を取得して他球団に移籍するとも思っていなかったし、違うチームで球児さんと対戦するなんて奇跡」。そんな奇跡の打席へは「ホームランか三振と思って」向かった。藤川が「大和がFAでDeNAに行く時にストレートでどんどん勝負しようなと約束していた」と話したように、約束通りの投球だった。
初球147キロのストレート。2球目も147キロ。2ボールとなった3球目。またもや147キロのストレート。「振りに行こうと思った」大和だが、インコースの切れのあるボールに手が出なかったという。そして2ボール1ストライクからの4球目。この日下ろしたばかりのバットに初めてミートした打球は横浜の空を高々と舞った。
「当たった瞬間に行ったと……そらぁ特別なもんよ」。火の玉ストレート。打った大和も打たれた藤川も笑顔だった。背中越しにみていたわかっていても打てない真っ直ぐを、今度は藤川と真正面からぶつかって見事にとらえた。試合後、藤川のもとをホームランボールを持ってたずねると“最高の仲間”としたためてくれた。忘れられない1球は鹿児島の実家に大切に飾られている。
奇跡、夢みたい。数か月経っても未だに信じられないような表情で振り返りながら、ふと漏らした。「自分もいつかこんな日が来るんだろうなぁ」
若虎だった大和も今年34歳を迎え、チーム最年長となる。チームだけでなく遊撃手としてもセ・リーグで最年長である。先輩の節目に立ち会い、初めて自分の終わりを想像した。そもそも今の自分の置かれている状況が、とても不思議だという。
「なんで自分がこの年まで残ってるんやろうって思う。ドラフトも下位やし。ふと気づくと高卒同期の上位指名選手はもういなくなっていて。なんでやろうね」
野球以外では人前に立ちたくないという大和らしい疑問。しかし、もうその答えには気づいているはずだ。「野球が好きだからといって残れる世界じゃない」。大和の“こんな日”はまだまだ訪れはしない。
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市川 いずみ
「奇跡としか言いようがない」 ベイスターズ・大和が振り返る、藤川球児との“最後の1打席”
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@bunshun_online @kyuji22fujikawa 皆が引退式してくれましたよね。
最高の幸せ者ですよ。
@bunshun_online 素晴らしい対決でした。