1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2016/07/25(月) 17:54:11.63 ID:CAP_USER9
走塁中、突然グラウンドにうずくまる西岡剛。その姿はまるで泣いているようだった──。
20日の阪神対巨人戦で届いた悲報、「西岡剛、左アキレス腱断裂」。
ここのところ好調を維持していた西岡だけに、本人はもちろんチームにとっても痛すぎる負傷だ。
今季のプロ野球ではロッテの大松尚逸も5月に右アキレス腱を断裂。全治6カ月と診断された。
野球以外でも、大相撲では豊ノ島、安美錦が続けてアキレス腱断裂と、ここ数カ月の間だけでも同じようなニュースが続いている。
アスリートを苦しめる悲劇、アキレス腱断裂。一方で、この負傷から見事なカムバックを果たした事例も多い。
過去の球界アキレス腱断裂史、その主だった例を振り返りたい。
■門田博光(南海)
1979年2月、まだ肌寒いキャンプ中の高知・大方球場の芝生の上で準備運動中、突然アキレス腱が切れてしまったのは南海が誇る主砲、当時31歳だった門田博満だ。
担架もなければ、医師もいない状況。救急車が到達するまで25分間、ひとりでうずくまるしかなかった。すぐに手術をし、復帰は同年9月。
19試合で2本塁打を放ったが、ケガの影響で守れない門田を球団はトレード要員として考えるようになった。
「一度は死んだ身。いつまたアキレス腱がダメになるかわからない。毎打席“これが最後”という気持ちで打席に入ろう」
そう決意し、翌1980年からは背番号27から、「死」を連想すると日本人に嫌われがちな「44」に変更。
するとこのシーズン、指名打者のみで111試合に出場し、自身初の40本塁打超え(41本)でカムバック賞を受賞。
1981年には44本塁打で初のホームラン王。通算567本塁打のうち、復帰後に388本塁打を重ねた。
■前田智徳(広島)
1995年5月23日、西岡同様、一塁を駆け抜けようとしたそのとき、右アキレス腱を断裂してしまったのが広島の誇る「天才」前田智徳だ。
1996年は開幕から復帰し、2年ぶりに規定打席にも到達。同年から1999年まで、4年連続で打率3割以上をマーク。
復活を印象づけたが、自身の思うようなバッティングには程遠く、この頃に口から出たのが
「前田智徳という打者はもう死にました」「プレーしているのは僕じゃなく、僕の弟です」といった有名な前田語録だ。
また、右足をかばっていたために左アキレス腱も痛めてしまい、2000年のシーズン途中に左アキレス腱鞘滑膜切除手術。
翌年に復帰し、2002年には打率.308、20本塁打でカムバック賞を受賞。
以降、5年連続で20本塁打以上をマークし、打率もほぼ毎年3割以上。2007年に2000本安打。2008年に2000試合出場を果たした。
http://dailynewsonline.jp/article/1169353/
2016.07.25 17:05 デイリーニュースオンライン

https://www.youtube.com/watch?v=PC10Dl28DAE
中日谷沢健一のホームラン巨人の江川から
https://www.youtube.com/watch?v=ujn0hvfui-c
谷沢健一 2000本安打達成までの軌跡
20日の阪神対巨人戦で届いた悲報、「西岡剛、左アキレス腱断裂」。
ここのところ好調を維持していた西岡だけに、本人はもちろんチームにとっても痛すぎる負傷だ。
今季のプロ野球ではロッテの大松尚逸も5月に右アキレス腱を断裂。全治6カ月と診断された。
野球以外でも、大相撲では豊ノ島、安美錦が続けてアキレス腱断裂と、ここ数カ月の間だけでも同じようなニュースが続いている。
アスリートを苦しめる悲劇、アキレス腱断裂。一方で、この負傷から見事なカムバックを果たした事例も多い。
過去の球界アキレス腱断裂史、その主だった例を振り返りたい。
■門田博光(南海)
1979年2月、まだ肌寒いキャンプ中の高知・大方球場の芝生の上で準備運動中、突然アキレス腱が切れてしまったのは南海が誇る主砲、当時31歳だった門田博満だ。
担架もなければ、医師もいない状況。救急車が到達するまで25分間、ひとりでうずくまるしかなかった。すぐに手術をし、復帰は同年9月。
19試合で2本塁打を放ったが、ケガの影響で守れない門田を球団はトレード要員として考えるようになった。
「一度は死んだ身。いつまたアキレス腱がダメになるかわからない。毎打席“これが最後”という気持ちで打席に入ろう」
そう決意し、翌1980年からは背番号27から、「死」を連想すると日本人に嫌われがちな「44」に変更。
するとこのシーズン、指名打者のみで111試合に出場し、自身初の40本塁打超え(41本)でカムバック賞を受賞。
1981年には44本塁打で初のホームラン王。通算567本塁打のうち、復帰後に388本塁打を重ねた。
■前田智徳(広島)
1995年5月23日、西岡同様、一塁を駆け抜けようとしたそのとき、右アキレス腱を断裂してしまったのが広島の誇る「天才」前田智徳だ。
1996年は開幕から復帰し、2年ぶりに規定打席にも到達。同年から1999年まで、4年連続で打率3割以上をマーク。
復活を印象づけたが、自身の思うようなバッティングには程遠く、この頃に口から出たのが
「前田智徳という打者はもう死にました」「プレーしているのは僕じゃなく、僕の弟です」といった有名な前田語録だ。
また、右足をかばっていたために左アキレス腱も痛めてしまい、2000年のシーズン途中に左アキレス腱鞘滑膜切除手術。
翌年に復帰し、2002年には打率.308、20本塁打でカムバック賞を受賞。
以降、5年連続で20本塁打以上をマークし、打率もほぼ毎年3割以上。2007年に2000本安打。2008年に2000試合出場を果たした。
http://dailynewsonline.jp/article/1169353/
2016.07.25 17:05 デイリーニュースオンライン

https://www.youtube.com/watch?v=PC10Dl28DAE
中日谷沢健一のホームラン巨人の江川から
https://www.youtube.com/watch?v=ujn0hvfui-c
谷沢健一 2000本安打達成までの軌跡
引用元: ・http://www.logsoku.com/r/2ch.sc/mnewsplus/1469436851/