とらほー速報

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    掛布SEA

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     阪神は31日、掛布雅之オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(64)が契約満了により、10月31日をもって退団することを発表した。

     掛布氏は13年10月にゼネラルマネージャー付育成&打撃コーディネーター(DC)として、阪神に88年の現役引退以来となる復帰を果たした。

     16年から2年間は2軍監督を務め、現役時代の31番を背負い、ファンからも多くの注目を浴びた。

     18年からはオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)として、チーム編成に関するオーナーへのアドバイス役などを担っていた。




    掛布雅之オーナー付きシニア・エグゼクティブ・アドバイザーが契約満了により10月末日をもって退団することが決定しましたのでお知らせいたします。



    @TigersDreamlink 掛布さんありがとう



    @TigersDreamlink 掛布さんはやっぱりタイガースの掛布さんなんで寂しいです😌 また戻ってきてほしいです🙏



    @TigersDreamlink 本当にありがとうございました!!



    @TigersDreamlink 今度は臨時コーチとして戻ってきて欲しい


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    阪神の掛布雅之オーナー付きシニア・エグゼクティブ・アドバイザー(64、以下SEA))が今季限りで退団することが2日、明らかになった。2017年9月に2軍監督を“解任”になってから1年契約で現職に就いていたが、昨年10月の契約更新時に「来年1年で契約は終わらせていただきます」と予告されていたもの。“引退勧告”により退団が確実になった鳥谷敬(38)に続き“ミスタータイガース”と呼ばれたレジェンドも球団を去ることになった。ネット上では阪神に対して批判、失望の声が多く寄せられているが、掛布退団の真相は何だったのか。

    「1年前に今季限り退任を通告」
     1年前の10月。矢野新監督の就任発表が終わった頃だった。
     掛布氏は甲子園に隣接している球団事務所に呼ばれた。
     掛布氏だけでなく契約のフロントマンは11月1日から10月末日の1年契約を結んでおり、毎年、この時期に契約更改を行うことになっている。部屋には、揚塩球団社長と、契約に関する担当者の2人がいた。
     揚塩社長は開口1番、こう言い放った。
    「来年1年で契約は終わらせていただきます」
     掛布氏はこの職へしがみつくつもりなど毛頭なかった。
    「わかりました。これまでありがとうございました」
     承諾し、感謝の意を伝えた。
     故・中村勝広GMの尽力のおかげで2013年オフにゼネラルマネジャー付育成・打撃コーディネーターとして阪神に復帰。2016年からは、金本監督の要請で2シーズン2軍監督としてユニホームを着た。そして、その後もフロントの職を用意してもらった。掛布氏には感謝の気持ちしかなかった。

     だが、このやり方には疑問を抱いた。失礼だと感じた。
     今年1年で、あなたは終わりと、言われた人間が、どれだけ、その仕事に懸命になれるのだろうか。掛布という人間は、たとえ、そうであっても与えられた場所でベストは尽くす。
     契約上、更新しない場合は2か月前に通知することになっている。ならば、来年の契約更新の2か月前に通知すればいいだけの話ではなかったのか。
     冷静な掛布が、少し口調が強くなった。揚塩社長は、平謝りするだけで、わざわざ1年前に通告した理由も、そして、そもそも、なぜ契約を更新しないのかの理由も説明しなかった。藤原オーナーの“メッセンジャー”に過ぎない揚塩社長の立場では、それができなかったのだろう。鳥谷が揚塩球団社長から“引退勧告”を告げられたときも、開口一番、「今年で辞めてくれませんか」だったという。野球選手という人種の繊細さをこの人は理解してない。

     掛布氏がSEAに就任したのは2年前だ。金本前監督が育成方針に関してズレのある掛布2軍監督の退任をフロントに求め、球団が了承、ユニホームを脱ぐことになった。当時の球団社長だった四藤氏は、“解任”理由を「指導者の世代交代」としたが、その通告時に同時に「フロントに職を用意したので、これからも力を貸して欲しい」と打診した。何も掛布氏が要望したわけではない。

     坂井オーナーの“ブレーン”としての仕事だが、フロントに入りワンクッションを置くことでファンから絶大なる人気のあった掛布氏を斬ったことに対する虎党の反発、世論、阪神OBからの逆風を和らげる目的があったと見られる。また阪神の内側に置くことで、その言動を封じこめておきたかったとも取れる。球団の許可さえあれば、解説や講演などの活動も自由にできるという特別待遇。故・星野仙一氏が、監督退任後、オーナー付きシニアディレクターに就任した際にも同じく自由な活動が許可されており、その前例に習ったものだ。

    ▼続き





    チームの最大の功労者である鳥谷敬や掛布雅之SEAに対して何でそこまで冷たい物言いが出来るのか全然意味がわからなかったが、藤原氏も揚塩氏も、揃いも揃って野球音痴だけでなく人事音痴か。 こりゃ間違いなく阪神タイガースは暗黒時代に逆戻りするな。



    ミスタータイガース掛布、野球界で活躍してほしい。 阪神・掛布SEAが今季限りで退団へ 球団幹部「既定路線」(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190902-00000502-sanspo-base 



    阪神タイガースは生え抜きスターの掛布監督よりも金本監督を選び、背番号31番も重んじることもしないので、そういう意味でも「既定路線」なのでしょう。 阪神・掛布SEAが今季限りで退団へ 球団幹部「既定路線」 - SANSPO.COM  https://www.sanspo.com/baseball/news/20190902/tig19090203010001-n1.html 


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/09/02(月) 04:23:22.52 ID:ev2UTNZf9
    さらばミスタータイガース…。阪神のオーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA)、掛布雅之氏(64)が、今季限りで退団する方向であることが1日、明らかになった。
    契約の満了に伴うもので、球団から引退勧告を受けた鳥谷敬内野手(38)に続く激震。
    2人のレジェンドが相次いでタテジマに別れを告げることになる。

    タテジマとの別れのときを迎えるのは、鳥谷だけでなかった。
    今季はオーナー付SEAとして、球団、現場に助言をしていた掛布氏の退団も決定的になっていることが分かった。

    関係者の話を総合すると、昨オフの契約更新の際、球団幹部が「これが最後になります」と掛布氏にラストイヤーになることを伝えていたという。
    球団幹部は今オフの退団を「既定路線です」と認めた。

    3度の本塁打王に輝き、ミスタータイガースとして1985年の日本一に貢献した掛布氏は、88年に現役を引退。
    以降は他球団のユニホームを着ずにネット裏から阪神を見守ってきた。

    球団から長く遠ざかっていた掛布氏の阪神復帰は、2012年秋、ゼネラルマネジャー(GM)に就任した中村勝広氏(当時、故人)が坂井信也オーナー(当時、現電鉄相談役)に強く進言して実現したものだった。
    中村GMは、掛布氏の卓越した打撃理論、指導力を高く評価。
    若手の打撃向上を目的とし、13年秋、GM付育成&打撃コーディネーター(Development&Coordinator=DC)として、25年ぶりに復帰した。
    GMの統括下で2軍中心に指導、助言をすることになった。

    15年秋には中村GMが急逝。掛布氏は球団本部付という立場になった。同年オフに金本知憲氏が監督に就任。
    新監督の要望で2軍監督に就いた。
    代名詞の背番号31でグラウンドに立つ姿に虎党は沸き立ち、甲子園での2軍公式戦には1万人以上が駆け付けた。
    だが、若手を猛練習で追い込みたい1軍と、選手の自主性を尊重したい2軍の間で方針の食い違いが生まれた。
    17年オフ、掛布2軍監督が退任し、坂井信也オーナー付のSEAとなった。

    現場を退いた後も掛布氏はアドバイザーとして、解説業をこなしながらもグラウンドに姿を見せ、今季も不振の大山にアドバイスを送るなど、側面からの現場支援を続けていた。
    今回の処遇はオーナー交代が決定打となった。昨秋、坂井オーナーが退任し、藤原崇起新オーナー(電鉄本社会長)が就任。
    掛布氏の処遇はいったん新オーナーに引き継がれたが、契約延長は当初から1年限りの予定だった。

    ファンとマスコミを大切にし、生え抜き最大のビッグネームである掛布氏に対する監督就任待望論は大きかった。
    だが、在籍6年間、一度も1軍の監督、コーチのユニホームも着ることはなかった。
    8月29日に引退勧告を受けた鳥谷に続く衝撃。球団の記録とファンの記憶に残るレジェンドが相次いで、タテジマを去る。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190902-00000502-sanspo-base
    9/2(月) 3:00配信

    no title

    no title

    no title

    5: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/09/02(月) 04:30:13.00 ID:ev2UTNZf0
    https://www.youtube.com/watch?v=_Re-heW-V6s


    さよなら後楽園16・バース・掛布・岡田 阪神タイガース

    6: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/09/02(月) 04:31:24.23 ID:ev2UTNZf0
    https://www.youtube.com/watch?v=udtcah8uHD8


    【2012.11.18】 掛布 雅之 応援歌 【阪神OB×読売OB】

    https://www.youtube.com/watch?v=FTujuqe3Omk


    掛布 雅之

    11: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/09/02(月) 04:39:44.51 ID:t2qdF/JH0
    掛布の監督姿、見たかった
    鳥谷の件といい、トンチンカンな球団だわ
    負けても大入り、人気だからな、お殿様球団

    16: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/09/02(月) 04:59:04.69 ID:UUccgZzV0
    選手の前にフロントを補強しろ
    電鉄じゃ無理

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1567365802/

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    ◆マイナビオールスターゲーム2019 全セ11―3全パ(13日・甲子園)

     阪神・掛布雅之オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(SEA、64)がラジオ解説で訪れ、本拠地の球宴で暴れ回った猛虎戦士を称賛した。

     原口は前日(12日)の第1戦(東京D)から2打席連続となるアーチを放ち、次の打席で一発を放てば、1978年の第3戦の掛布氏以来、史上2人目の3打席連発だった。掛布氏は「もう一本打っていればな。甘いんだよ(笑)。でもこの2本は本当に素晴らしいことですよ」と2軍監督時代から手塩にかけて育ててきたまな弟子に賛辞を贈った。

     阪神勢は近本がサイクル安打を達成し、梅野も一発を放った。掛布氏は「これを後半戦につなげないと、意味がない。近本にしても足がかりは作ったわけだから。これをきっかけにしていかないと」と15日の中日戦(ナゴヤD)から始まる後半戦に向け、選手たちのさらなる成長を願っていた。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190713-00000327-sph-base



    あの1985年の掛布SEA以来、てなんぼ昔やねん、と思ったが、代打でって条件付きだよな、さすがに。 震えたで感動したで原口! 阪神では掛布以来の代打球宴弾  https://www.sanspo.com/baseball/news/20190713/tig19071305040001-n1.html 



    で帰ってきたら近本サイクル達成、原口2試合連続弾!! \^o^/ まあ最後の三塁打は掛布SEAの山本浩二アシストを彷彿させたけどな。(笑)



    掛布SEAの山本浩二への「アシスト」を思い出しました。w  https://twitter.com/toraho/status/1150027332188397568 


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     【球界ここだけの話】大舞台でのミスは本当に嫌なものだし、苦い思い出になってしまう。ただ、その経験を糧に出世街道を駆け上がった人はたくさんいるはずだ。阪神・掛布雅之オーナー付シニアエグゼクティブアドバイザー(SEA)もその一人。初出場した巨人戦は、マイナスからのスタートだったという。

     「初めて巨人戦に先発で出場したときに、一塁で出たんですよ。江夏さんがピッチャーだった。それで、ファウルですけど、一塁への小飛球が飛んできて、足が一歩も動かなくて。僕の目の前にボールが落ちて、江夏さんに『すいません』と頭を下げたのが、一番の思い出ですね」

     その試合は敗戦した。若虎時代のミスタータイガースでさえ、体が動かないほどのプレッシャーに襲われるのが伝統の一戦。当時は他球団のなかで唯一、5万人以上の観衆が詰めかけるカードだった。ただ、その後の掛布SEAは虎党の誰もが知っているバックスクリーン3連発など、宿敵との一戦で何度も輝きを放ってきた。

     21日の“平成ラストマッチ”巨人戦は、0-3で2試合連続の完封負けを喫し、平成の巨人戦は318勝435敗17分けで終わった。しかも、エラーが失点にからみ、貧打の虎はさらに苦しんだ。

     内野は26歳の新主将・糸原が最年長という布陣も珍しくなく、ドラフト3位・木浪聖也内野手(ホンダ)を始め、中堅を守るD1位・近本光司外野手(大阪ガス)ら若虎は日々、あらゆる経験を積んで成長につなげている最中だ。

     矢野虎は若手の底上げと、勝利の両立という“二兎”を追う。平成から令和に時代が変わっても、「伝統という言葉も変わらないだろうし、阪神巨人、巨人阪神というのも当然変わらないわけで。ただ時代、時代でメンバーが変わっていく、そのなかで両チームのね、選手たちがやはり特別なものをもって。僕と原監督なども非常に4番というもののなかで、お互いに意識し合い、お互いの野球を向上してきた意識もありますので」と、掛布SEAは心構えを説く。

     令和初の伝統の一戦は、5月14日からの2連戦(東京ドーム)。失敗を糧にして、反攻に出るタテジマ戦士に期待したい。(新里公章)

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190422-00000534-sanspo-base

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