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    松永浩美

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2021/03/18(木) 13:27:46.34 ID:CAP_USER9
    デジタルの暴走?

    阪神へ移籍1年目の93年、背番号を「2」から「02」に変更した松永

     プロ野球で初めて広島で「0」が登場したのが1983年。プロ4年目の長嶋清幸が背負ったもので、その前年にメジャーで登場したばかりの背番号を早くも“輸入”した形だったが、当時は近年のように簡単にはメジャーの情報が手に入らなかった時代であり、多くのファンに独特な違和感と奇妙な期待感をもって受け入れられた。阪神で「00」が登場したのは、その5年後、88年のシーズン途中だ。“猛虎フィーバー”の象徴ともいえるバースが退団。これを受けて獲得したジョーンズが着けて閉幕までプレーしたものの、結果を残せずオフに解雇となり、「00」の歴史は途切れかける。

     とはいえ、「0」は順調に広島から他のチームへと普及していったように、「00」を着ける選手もポツポツと現れるように。そんな92年、阪神で亀山努が「00」の後継者となり、センセーショナルな活躍。これで「00」に新たな価値が創出された。この時期は、従来は数えられる数字のみしか存在しなかった背番号の世界に、「0」「00」といった数えられない数字が浸透していった過渡期といえるだろう。思えば、当時はデジタル時計が従来のアナログ時計を駆逐するかの勢いで一般的になっていった時期でもある。あと少しデジタル時代の到来が遅ければ、「0」はともかく、「00」の登場も遅かったかもしれない。だが、「0」を並べて2ケタ(?)にした「00」の存在は、背番号の物語を思わぬ方向へと導いていくことになる。

     亀山がブレークした翌93年の阪神で、やはりシーズン途中に「02」なる背番号が登場する。着けたのは移籍1年目の松永浩美だった。松永は小倉工高を中退して78年に阪急(現在のオリックス)へ入団、1年は練習生としてチームに帯同するのみだったが、翌79年に支配下となった苦労人。最初は「48」で、82年に正三塁手の座をつかむと、翌83年には「8」に。コツコツ当てて足を生かすタイプが多かったスイッチヒッターだが、松永は日本人の選手としては珍しく長打のあるスイッチとして異彩を放つ。その後も“ポスト黄金時代”の阪急、そして新生オリックスで打線の中軸を担うも、93年に投手の野田浩司とのトレードで阪神へ移籍。野田は移籍1年目から「21」で17勝を挙げて最多勝に輝いた一方で、「2」を背負った松永には故障が続いた。

     この阪神の「2」は1ケタの背番号ながら、故障で引退する選手が多い系譜でもあり、先代の高橋慶彦も全盛期の広島では「2」で活躍したものの、阪神では故障もあって前年オフに引退していた。松永は6月29日に背番号を変更。それが前代未聞、空前絶後(?)の「02」だ。ただ、縁起が悪いから背番号を変更したというだけではない。もちろん、単に奇をてらって「02」にしたわけでもなかった。

    日本ハムのジェームス・ボンド?
     いかにプロといえど、野球は運を敵に回して成功できるスポーツではない。プロ野球選手は古今東西、さまざまな形でゲンをかつぎ、背番号も、野村克也が指導者になっても「足して10」の背番号にこだわったように、開運のツールとなってきた。松永は悪運を回避しようとしただけでなく、「自分をオニ(02)のように強くする」という意味で、「02」を背負ったのだという。だが、当時を知る阪神ファンにとっては、「02」には苦い思い出があるかもしれない。メジャーにもない3試合連続先頭打者本塁打など存在感を放った松永だったが、最終的には80試合の出場にとどまっただけでなく、オフには導入されたばかりのFA制度を使い「02」(オニ)のように(?)阪神を去ってダイエー(現在のソフトバンク)へ移籍。阪神の「02」は、松永が最初で最後となり、松永も新天地では「3」を背負い、97年までプレーを続けた。


    https://npb.jp/bis/players/51253863.html
    成績

    https://news.yahoo.co.jp/articles/c41f1176ddbd5bf1fabdde55fe1a695904b01d0e
    3/18(木) 11:41配信

    https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php

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    https://www.youtube.com/watch?v=iePVv7ZobPs

    応援歌アレンジ10ループ 阪神タイガース平下晃司(高橋慶彦/松永浩美/平塚克洋)

    2: 名無しさん@\(^o^)/ 2021/03/18(木) 13:27:53.80 ID:sumafUmA0
     ただ、この93年に異色の背番号を着けようとしたのは松永が最初ではない。83年に日本ハムで「28」を着けて新人王になり、大洋(現在のDeNA)を経て、その93年に日本ハムへ復帰した二村忠美が希望した背番号は「007」だった。映画フリークならピンとくるはずだ。「ジェームス・ボンドみたいに危険な雰囲気がある選手になりたい」と二村。だが、さすがに3ケタは当時としては「危険」過ぎたのか、パ・リーグに許可されず、二村は日本ハムの初代「00」となって、そのオフに現役を引退している。数字だけのことであれば「00」がOKなら「02」も「007」もNGではない気もするが、たかが数字、されど背番号なのだろう。

    引用元: https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1616041666/

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     阪急、オリックス、阪神などで活躍した元プロ野球選手の松永浩美氏(59)が11日放送のTBS系「バースデー」(土曜後5・0)に出演。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、野球教室や講演会がキャンセルとなった現状について語った。

     番組では松永氏が現役引退後、持ちかけられて投資した金が回収不能になるなどして財産を失い仕事も激減する中、同じような境遇を経験し、親身になって松永氏の話を親身になっていた女性と結婚し、4人の子宝に恵まれたことなどを紹介した。

     新型コロナウイルス感染拡大で収入源としていた野球教室や講演会が中止となる中、家族を養うために松永氏は野球をコーチングする動画の配信を開始。妻が動画を撮影し、自らが編集作業を行っているが、チャンネル登録者数は4000人ほど。「昔の西宮球場くらいですよ、ファンは」と語る松永氏は今後の今後の目標として「ヤフードーム(現ペイペイドーム)がいっぱいになる、3万なんぼか4万人。満員になればいいなあ」と穏やかな笑みを浮かべた。






    松永浩美氏、コロナ禍で仕事失い動画配信「ファンは昔の西宮球場くらい」  https://www.sanspo.com/baseball/news/20200411/npb20041118060003-n1.html  @sanspocomより阪急、オリックス、阪神、ダイエー(現ソフトバンク)活躍した松永浩美がコロナウイルスの影響で野球教室や講演会が中止で無収入に。世界中リーマンショックより酷いです。



    外出自粛のせいで松永さんがおかしくなっちゃった!!しらんけど!!!コロナめ!!!!  https://twitter.com/cnann0/status/1247616299124940801 



    松永浩美さんを特集された「バースディ」を見たけどスゴく良かった~(*^^*)今はコロナの影響で大変だと思うけど「終息したらまた子供たちに野球を教える機会が増えるといいなぁ~」とつくづく思う。


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2019/02/23(土) 15:46:49.82 ID:tkKaNHgS9
    プロ野球の阪急、阪神、ダイエーで活躍した松永浩美氏(58)が23日、ブログを更新。22日に第4子となる次女が誕生したことを報告した。

    松永氏は「昨夜2月22日 無事に女の子が誕生しました。
    妊娠報告をしてから数ヶ月。温かく見守って下さった方々へ感謝の気持ちでいっぱいです。
    松永家に四人目として誕生してくれた新しい命。
    しっかりと夫婦で手を添えて、大切に大切に育てて参ります」と決意を明かした。
    松永氏は、夫人の妊娠を昨年9月にブログで報告していた。

    松永氏は78年に阪急に入団。82年には日本人初となる1試合で左右打席本塁打をマーク、
    85年には盗塁王をとなるなど走攻守で活躍。
    93年に阪神に移籍、94年にFAでダイエー(現ソフトバンク)に移籍した。98年に米メジャー・アスレチックスの入団試験も受け、話題を呼んだ。98年に引退している。

    https://article.auone.jp/detail/1/6/10/8_10_r_20190223_1550901922505432

    http://npb.jp/bis/players/51253863.html
    成績

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1550904409/

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