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    松田遼馬

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     その声は、こちらの悲嘆を飲み込むような明るい空気をまとっていた。「今年で野球やめます」。松田遼馬から着信があったのは、昨年12月中旬だった。「用件」には察しがついた。11月にソフトバンクから戦力外通告を受けた後、トライアウトを受験。まだ26歳で衰えなんてない。他球団が手を差し伸べてくれるだろうと思いながらも“朗報”を伝える記事を目にすることは最後までなかった。

     わざわざ電話してきてくれたのだから決意は固いだろう。いち記者の懇願で翻意するはずがないと分かっていながらも僕は「もったいない」「まだ絶対にできる」と引き留めた。それでも「もう悔いはないです。自分の中では区切りはつきました」と返されれば「本当にお疲れさま」と言うしかなかった。

    厳しさと幸福が入り交じったソフトバンクでの2年半
     これがプロ野球選手・松田遼馬に対する最後の仕事。引退に至るまでの経緯をじっくりと聞いた。「悔いなし」は、18年途中にトレードで移籍したソフトバンクでの2年半を指した。ジャイアンツを完膚なきまでに叩きのめした昨年の日本シリーズが記憶に新しいように「最強」「常勝」を体現するチームでの経験は、厳しさと幸福が入り交じった。

    「(ソフトバンクは)施設、練習の量とか挙げたらたくさんあるんですが、すべてが凄かった。もちろん、先輩たちも。自分がぼーっとしてない限りは成長できる、そういう環境でしたね」。阪神時代、言葉とイメージだけで知っていた「巨大戦力」は、リアルだった。1軍で主軸を張ったベテランの長谷川勇也が、2軍でも誰よりもバットを黙々と振り続け、後輩たちにも分け隔てなく助言を送る。めまぐるしく繰り広げられる競争と進化。そんな刺激的な空間だった。「一つの例ですけど、長谷川さんの考え方、教え方を隣で聞いてるだけで勉強になりました。だから2軍も強いんだなと」。当然、ファームにもとてつもない緊張感が漂う。3軍制を敷く中で、1軍を目指す前には2軍での生存競争を制する必要がある。移籍2年目には51試合に登板し日本一、歓喜のビールかけも経験。振り返ればキャリアハイの1年になった。

     ただ「(2軍の)そういう人たちに勝ってレギュラーをつかめば自信になる」とようやくつかんだ居場所も、次の瞬間に実体はなくなる。これが過去10年で7度の日本一に輝く集団の“生態系”。松田もそのサイクルに飲み込まれ昨年は一転、1軍での登板はゼロ。故障したわけでもなく、単純にライバルたちの力が上回り、自らが劣った。「なんで1軍に上がれないんだ、とかも全く思わなかった」。直後の戦力外通告も「ケガもなかったのに1軍に上がれなかった。自分の実力がなかった」と驚くほど素直に受け入れられた。最高峰のチームで競争にさらされて力を出し切った事実。トライアウトという最後の可能性もついえた今、引退の選択肢に迷いはなかった。

    関西で過ごした「最幸」の時間

     今もあのスクリーンショットは保存されているだろうか。タイガース時代の15年。開幕して3週間ほどたったある日、遠征先の名古屋で食事に誘った。店へ向かうタクシーの中で松田は、スマホを嬉しそうに見つめていた。「今僕、最多勝なんですね。こんなこともう無いだろうから、保存しときます」。その年、開幕1軍入りを果たすと好救援を続けて3勝を荒稼ぎ。他球団のエースたちを抑えて「勝利数」の項目に自分の名前が一番上にあった。そんなことが嬉しかった21歳。毎日、胸を躍らせてプロのマウンドに向かう姿が、当時はほほえましかった。

     右肘の不調に悩み、痛みで夜中に目覚めることも数え切れない。右手に持っていたボールを握れず、足下にポトリと落とした時の絶望感。タテジマのユニホームには辛く苦い思いが上塗りされていったが、甲子園のマウンドで浴びる声援がいつも帳消しにしてくれた。「野次もありましたけど、それも含めてあれだけの応援をしてもらったことは忘れられないです。高卒で入って監督、首脳陣の方に早い段階から使っていただきましたけど、期待に応えられなかったのは悔しいし申し訳ないですね」。福岡が「最高」なら、関西で過ごした時間は「最幸」だったのかもしれない。

     年が明けた1月5日。その姿はマウンドにあった。現役時代に毎年、合同自主トレを行ってきた阪神の先輩・中谷将大の練習サポートに駆けつけていた。ストレッチとアップで体を温めるとキャッチボール相手を務め、打撃投手も買って出る。中谷の「ラスト」の声が挙がるまで腕を振り続ける。「ずっと一緒に練習をしてきて何か手伝えることはないかなと。もう自分の肩は壊れてもいいんでね」。戦い抜いたことを示す柔らかい笑みだった。

    チャリコ遠藤(スポーツニッポン)

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    チャリコ遠藤



    アップされました!遼馬への最後の取材。よろしくお願いします🤲

    「もう肩は壊れていい」福岡と甲子園で味わった天国と地獄 松田遼馬の9年間
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    松田遼馬選手お疲れさまでした。


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     阪神の中谷将大外野手(27)が4日、故郷の福岡県内で谷川昌希投手(28)と自主トレーニングを行った。17年に20本塁打を放った和製大砲の練習をサポートするのは、18年まで同僚で昨季限りで現役を引退した松田遼馬氏(26)。打撃投手を務める後輩の“生きたボール”を打ち込んで復活へ決意を新たにした。

     ただの1球ではない。中谷は、投じられた“激励”の数々を感謝のフルスイングで打ち返していった。

     「本当にありがたいの一言です。遼馬が毎日来てくれて。ピッチャーの生きたボールなんで。これ以上の打撃練習はないです」

     視線の先にいたのは、18年まで同じユニホームでプレーした松田遼馬氏だ。同年途中にトレードでソフトバンクへ移籍し、昨年11月に戦力外通告を受けて現役引退を決断。同じ九州出身で毎年、合同自主トレを行ってきた同氏はプレーヤーでなくなっても「何か手伝いたい」と練習のサポート役を買って出て、連日、打撃投手も務めてくれる。この日も約20分間、生きたボールを打ち込み「しっかり振り込めています」と充実感を漂わせた。

     17年に20本塁打をマークして次代の中軸と期待されながら、ここ3年間は1軍に定着もできなかった。苦しむ姿を知る松田氏こそ背番号60の復活を強く願う一人。「現役の時に一緒に自主トレもさせてもらったので。何か役に立てることはないかと。僕の肩はもう壊れてもいいので。中谷さんのプラスになるなら毎日でも投げるつもり。今年が楽しみだし、応援していきたい」と肩を回した。

     「遼馬もそうですけど周りにいた後輩、同級生もプロ野球を辞める人が増えてる。ひと事じゃないし、自分は結果を出してアピールしていくしかない」

     昨年は70試合に出場も先発はわずか8試合止まりで、代打や守備固めが大半を占めた。ドラフト1位・佐藤輝にロハスと新加入組も含めて外野の層を厚くチャンスはスタートから少ないことが予想される。だからこそ、春季キャンプでのロケット発進をもくろむ。

     「キャンプで上げていくとかじゃなく、初日から100%で結果を積み重ねていく。やっぱり頭(スタメン)から出たいので」。土俵際まで追い込まれた27歳の底力が問われる。(遠藤 礼)




    入国制限になると外国人のコンディションに不安が出てきたし中谷チャンスやな
    遼馬の分まで頑張ってレギュラー獲り目指してほしい

    阪神・中谷 遼馬氏と行く背水の21年復活の道 同じ九州出身の元同僚が自主トレパートナー志願― スポニチ Sponichi Annex 野球  https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/01/05/kiji/20210105s00001173097000c.html 



    松田遼馬、中谷の自主練手伝っ手伝ってくれてありがとう!


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     ソフトバンクから戦力外通告を受けていた松田遼馬投手(26)が30日、自身のSNSを更新し、「野球を引退します」と報告した。

     11年度ドラフト5位で長崎・波佐見高から阪神入団。「9年間プロ野球という舞台で野球ができた事幸せでした」「どんな時も応援して下さったファンの皆様本当にありがとうございました」と感謝した。7日の合同トライアウトでは最速144キロを記録していたが「野球をやめて次のステップになり不安もありますが明るく頑張っていきたいと思います」と前向きに語った。




    去年までバリバリ登板してたからどこか手を挙げるかと思ったけどなかったか。まだ若いから違う道でも頑張ってほしいです。   元阪神・松田遼馬が引退「9年間できた事幸せでした」 第二の人生不安も「明るく」(デイリースポーツ)  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201231-00000010-dal-base 



    元阪神・松田遼馬が引退「9年間できた事幸せでした」 第二の人生不安も「明るく」(デイリースポーツ) #Yahooニュース  https://news.yahoo.co.jp/articles/5968f67c26ff2149ac1965bbdad2f9f0ee283c6f  阪神は、案外戦力の見極めはシビアだと思う。


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     今季限りでソフトバンクを戦力外となった松田遼馬投手(26)が29日、現役引退を決断した。

     「トライアウトを受けて選手としてやりきった。自分の中で踏ん切りは付けられたので。悔いはないです」

     阪神から移籍2年目だった19年は自己最多51試合に登板するなど存在感を示したが、今季は1軍登板なし。日本一に輝いたチームの分厚い選手層に埋もれる形となったが「ケガもなく投げられた一年だったので、自分の実力がなかったということです。“なんで1軍で投げられないんだ”とかも思わなかった」と完全燃焼してユニホームを脱ぐ。

     「日本一になってビールかけに参加できたのが最高の思い出」と振り返る一方で、トレード移籍する18年途中まで在籍した阪神球団への感謝も口にした。

     「高卒から入って何も分からない状態で監督、コーチが使ってくれました。その期待に応えられなかったのが悔しい。でも、甲子園で投げられたのは財産。ヤジももらいましたが、それも含めてあれだけ応援される体験は忘れられないです」。

     今後について現時点では未定ながら「新しい道でどんなことができるか楽しみ」と前を向いた。デビュー当時、150キロ超の直球を武器に「次代の守護神」と期待された剛腕が、静かにマウンドに別れを告げた。(遠藤 礼)




    松田遼馬引退するんか。どこか引き取ると思ってたけど。



    えー松田遼馬引退すんのかよ どこか拾うと思ってた


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     ◆12球団合同トライアウト(7日)

     元ソフトバンクの松田遼馬投手(26)は、打者3人と対戦し1安打、1奪三振だった。

     同じ元ソフトバンクの日暮を空振り三振、元楽天の田中を三ゴロに仕留めたが、元ヤクルトの田代に右前打を許した。最速は144キロだった。

     「真っすぐを見てほしかったので、真っすぐが多めで、腕を振ることができてよかった。準備を大事にトレーニングして一日、一日後悔のないようにしたいと思って取り組んだ。結果というより、自分の力を出せたことが良かった」と振り返った。テレビ中継の解説を務めた元ヤクルト監督・真中満氏も「個人的にいいピッチングに見えた。いいアピールになれば」と賛辞を贈った。

     長崎・波佐見高から2012年に阪神入団。18年途中にトレードでソフトバンク入りした。今季は1軍登板なしに終わったが、昨季は自己最多51試合に登板した実績があり、今後が注目される。




    新庄さんはどうでも良いんだけど、風張くんとか松田遼馬くんを獲りに行かなきゃあかんやろ!! このGMでいる限りはAクラスはないわ、、、 #lovefighters



    確かに🤔松田遼馬くんは150キロ台出してたよねぇ〜


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