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藤川球児が引退した。松坂世代の40歳、最後のシーズンまで一軍で投げての22年の現役生活は、見事と言うべきだろう。

藤川は高知商から1998年ドラフト1位で阪神に。当初は先発投手だったが、2004年に救援投手に転向。

転機となったのは阪急ブレーブス時代に剛速球で鳴らした山口高志コーチとの出会いだった。山口コーチは「体をまっすぐにして軸足の右ひざを折らずに倒れこむ。右腕は上から下へ振りぬく」というシンプルな指導で藤川のフォームを改造。藤川も「山口コーチの指導は自分に合った、自分に届いた」と語っている。

翌年には勝利の方程式「JFK」の一人として活躍。中継ぎ投手の指標である「ホールド」は、この年からNPBの正式記録となったが、藤川は46ホールドを獲得し、セ・リーグ初代の「最優秀中継ぎ投手」となる。藤川は翌2006年も最多ホールドを獲得、連続で最優秀中継ぎ投手となった。この時期までの藤川は、リーグ最高のセットアッパー(勝ち試合での中継ぎ投手)だったのだ。

翌2007年、クローザーに転向すると最多セーブを獲得。セットアッパーとクローザーは、同じ救援投手だが、実は両方で実績を挙げる投手はそれほど多くない。

しかし藤川は2007年から6年間もリーグ屈指のクローザーとして活躍した。

2013年にはMLBに挑戦。カブス、レンジャーズで投げたが、3シーズンで2セーブ1ホールドと活躍することはできなかった。

2015年、日本に復帰するにあたって藤川は直接NPB球団に入団するのではなく、郷里の独立リーグ高知ファイティングドッグスに入り、6月から9月の3ヵ月間、高知で投げた。高知では2002年以来の先発のマウンドにも立ち完封も記録。この独立リーグでの時間は、藤川にとってリフレッシュするという意味で、大いに有意義だったようだ。

2016年に阪神に復帰。1年目は打ち込まれるシーンも多く、3セーブ10ホールドに終わるが、2017年からはセットアッパーとして好成績を挙げた。

そして2019年にはシーズン途中からラファエル・ドリスに代わってクローザーになり16セーブを記録。

松坂世代の選手が衰えて次々と引退する中、39歳でクローザーとして活躍する藤川球児は驚異的な存在だった。

2019年オフの段階で、日米通算セーブ数は243、名球会入会の基準である250まであと7と迫っていた。

2020年は、シーズン当初からクローザーで起用されたが、打ち込まれて試合を落とすケースが相次ぎ、8月10日の試合を最後に二軍落ち。8月末には引退を表明した。

最終成績は、782試合60勝38敗243セーブ163ホールド。防御率2.08。最多セーブを2回、最優秀中継ぎ投手を2回獲得している。日米通算セーブ数は245にとどまり、名球会入りの「通算250セーブ」には届かなかった。

243セーブはNPB歴代4位、163ホールドは今年引退を表明した五十嵐亮太と並ぶ5位タイ。

150セーブと150ホールドを同時に達成したのは、藤川球児とオリックスの増井浩俊(163セーブ、157ホールド)の2人だけ。

一世を風靡した藤川球児だが、名球会入りはならなかった。では、野球殿堂入りはどうだろうか?

救援投手は1974年にセーブが公式記録として導入されて以降、注目されるようになった。

それ以前にも「8時半の男」巨人の宮田征典や、中日の板東英二など救援で活躍した投手はいたが、殿堂入りすることはなかった。

救援専門投手で最初に殿堂入りしたのは、2012年の津田恒実。津田は広島で「炎のストッパー」と呼ばれ1989年に28セーブで最多セーブのタイトルを取っているが、通算では90セーブに過ぎない。津田は現役中の1993年に32歳で病のため死亡。悲劇的な生涯が、殿堂入り選考資格のあるスポーツ記者を動かしたという一面はあるだろう。

続いて2013年に同じく広島の大野豊が殿堂入り。大野は先発、救援両方で活躍し、最多セーブ2回、通算148勝138セーブを記録している。

2014年には横浜とマリナーズで絶対的なクローザーとして君臨した佐々木主浩が殿堂入り、NPBでは最多セーブ4回、通算252セーブ、MLBでも129セーブ。「名球会」の資格も満たしたうえで堂々の殿堂入りだった。

救援投手では史上最多の407セーブを記録し、最多セーブも5回記録した中日の岩瀬仁紀の殿堂入りが確実視されている。

通算セーブ数で「名球会」入りしている投手には、現ヤクルト監督の高津臣吾がいる。高津はNPBで286セーブ、MLBで27セーブを記録している。高津も殿堂入りの有力な候補だろう。

藤川の場合、セーブ数では佐々木主浩や高津臣吾には劣るが、ホールド数(佐々木1ホールド、高津8ホールド)との“合わせ技”では、両投手を大きく上回っている。

野球殿堂入りには「名球会」のような明確な基準はない。藤川球児は数字もさることながら、ホップする豪快な速球で相手打者をねじ伏せる爽快感があった。2度のWBCでも快投を見せた。

22年に及ぶ現役生活では、松井秀喜、清原和博から柳田悠岐、山田哲人、岡本和真まで歴代の強打者とも好勝負を演じた。

「記録」だけでなく野球ファンの「記憶」に残る名投手として、殿堂入りする可能性は大きいのではないか。

文:広尾 晃(ひろおこう)
1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

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名球会なんかより殿堂入りのほうが 完全に名誉な事やしね✨ 藤川球児「名球会」にはわずかに届かずも殿堂入りの可能性アリ(FRIDAY) #Yahooニュース  https://news.yahoo.co.jp/articles/7acd6bda82030c1b4714bd95dee5e7992bd21200 



アリ? せんかったら笑う。 #阪神タイガース 藤川球児「名球会」にはわずかに届かずも殿堂入りの可能性アリ(FRIDAY)  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20201124-00000003-friday-base 


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