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 【元阪神ドラ1伊藤隼太 戦力外からのハローワーク(4)】

 現役を引退したプロ野球選手のうち、指導者や評論家に転身できるのはごくわずか。第2の人生に悩む者は多い。伊藤は昨年12月にトライアウトを受験した2日後、戦力外となってセカンドキャリアを模索する選手向けに、選手会が主催した研修会に参加した。

 「講師やスタッフは20人近くいたのに、選手の参加者は僕を含め4人。あまりの少なさに驚きました。プロ野球選手が引退後の進路に悩むとは聞いていましたが、気持ちをなかなか切り替えられず、踏み出せない人は多いのかなと思いました」

 慶大の同級生の多くは卒業後、一般企業に勤めている。年に数回集まって旧交を温めながら、社会情勢やサラリーマンの生の声を聞けるのは貴重な機会だ。どこの世界でも人とのつながりの大切さは共通だと知らされ、この研修会にも今後の人脈づくりに役立てばと顔を出した。講師の1人に元阪神投手で公認会計士の奥村武博氏(41)もおり、その後も進路の相談に乗ってもらった。

 妻、3歳の長男と家族3人、手元にある生活費で食べていけるのは1年ほど。戦力外通告後はいつ底をつくか分からない不安から、少しでも稼げるようオンラインイベント、オリジナルグッズ製作など収入源を確保する準備を進めた。ユーチューバーの活動も開始。今後の進路に対する考えが二転三転したことで、慶大の同級生だった妻に「不安を抱かれ、モメたこともありました」。

 だが、トライアウト後には現役続行を最優先とすることで気持ちが固まっていた。第一志望のNPBから声がかからなかった場合に備え、関係者を通じて韓国、台湾、米独立リーグなど海外でプレーできる可能性を探ってもらった。

 すべては「野球人生の区切りをつけるため」。所属先を失い、1人で練習を続ける苦労が身にしみた。これまでのオフの自主トレのように、球場を貸し切る予算はない。阪神同期入団の後輩、西田直斗氏(27)が大阪府内で監督を務める中学硬式野球の練習拠点を借りれたのは助かった。打撃や送球の練習はレンタルスペースを使い、体幹トレーニングは砂浜。ジムに通い、自宅近くの大阪城の坂道を走った。

 最も困ったのはキャッチボール。トライアウトまでは阪神の2軍施設を使わせてもらったため、球団スタッフが相手を務めてくれたが、受験後は平日の練習パートナー探しに苦戦した。オファーを信じて黙々とトレーニングを続けたが、頼みの海外の球団も世界的に猛威を振るう新型コロナウイルスの影響もあり、なかなか具体的に話は進まなかった。




【今日の紙面から】 ・元阪神ドラ1、伊藤隼太〝独白〟連載 「戦力外からのハローワーク」④ トライアウト後、選手会主催の研修会に参加したが…そこで見た「第二の人生」の現実は… #hanshintigers #TigersDreamlink #mappy_e #愛媛マンダリンパイレーツ #伊藤隼太 #npb #ホムラジ #夕刊フジ pic.twitter.com/4imNd7Lg0b



伊藤隼太 #51 中京大中京高→慶応大→阪神 2011年ドラフト1巡目 #hanshin pic.twitter.com/bynBODUF0H


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