とらほー速報

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    球児にエール

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     高校野球鹿児島大会は24日、準決勝を迎える。鹿児島実業OBで、元阪神タイガース選手の横田慎太郎さん(26)は8年前の夏、決勝の舞台に立った。2度の大病を乗り越えた今、「元気をもらっている」という球児たちにエールを送る。

     横田さんは、プロ野球で活躍した父親の真之さん(58)の影響もあり、プロ野球選手になるのが夢だった。「厳しい環境で成長したい」と強豪校の鹿実に進み、1年の秋から4番に抜擢(ばってき)された。甲子園には届かず、2、3年とも夏は決勝で敗れた。最後の試合はサヨナラ負け。「悔しくて寮の部屋に閉じこもり、ぼうぜんとしていた」

     球児としては届かなかった甲子園だが、ドラフトで阪神タイガースから指名を受け、夢舞台へ。走攻守そろった大型選手として期待を集めたが、2017年のキャンプで体に不調を来し、脳腫瘍(しゅよう)と診断された。

     闘病を経てグラウンドに復帰したが、球が二重に見えるなど目の状態が戻らず、19年に引退した。故郷の鹿児島に戻った横田さんをさらに試練が襲う。20年夏に脊髄(せきずい)腫瘍が判明し、再び半年の闘病に入った。

     今も足にしびれが残るが「まだ26歳。絶対に元の体に戻す」と前を向いて療養の日々を過ごす。最近、「元気をもらっている」というのが鹿児島大会を戦う球児たちの姿だ。「打つ、投げる、走るがすべて全力で、感動する」。真之さんが監督を務める鹿児島商は敗退したが、鹿実は4強に勝ち上がった。

     横田さんは5月、「奇跡のバックホーム」(幻冬舎)という本を出した。19年9月の引退試合で外野守備につき、正面に飛んで来た打球を本塁に返球。ダイレクト送球で走者を刺した「野球人生のベストプレー」をつづった。「もう一度試合に出ることを目標に必死で練習していた。それが報われた幸せな瞬間だった」

     夏、全国で一度も負けないチームはひとつだけ。多くの球児が「まだ終わりたくない」と涙をのむ。プロ野球選手という幼い頃からの夢に病気でピリオドをうった横田さん。球児へのメッセージを寄せてくれた。

     「甲子園をめざして戦う姿勢が大事。負けて得られるものも必ずある。目標から逃げずに少しでも前に進んでいけば、『幸せな瞬間』が必ず訪れると思う」(奥村智司)

    朝日新聞社




    元阪神・横田さん 闘病経た今、球児にエール「幸せな瞬間、必ず」(朝日新聞デジタル) #Yahooニュース  https://news.yahoo.co.jp/articles/d86b8d8147a542a150b30a7a3bf068f6b12553b5  将来虎の四番と応援していたのが、今でも良き思い出😙✨引退の時は泣いた位ショックやったけど、病に負けないで、日々元気に過ごして欲しいね‼️応援しています🎶



    ☆よこたそ、球児にエール😆よこたその元気な顔が見れて嬉しいですね💜 元阪神・横田さん 闘病経た今、球児にエール「幸せな瞬間、必ず」(朝日新聞デジタル)  https://news.yahoo.co.jp/articles/d86b8d8147a542a150b30a7a3bf068f6b12553b5 


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    阪神北條史也内野手が甲子園大会中止決定を受け、球児にエールを送った。甲子園で分離練習に参加後、オンライン取材に対応。

    光星学院(現・八戸学院光星)時代には3季連続準優勝を果たすなど、同じ夢を追った立場。中止決定には「かける言葉が見つからない」と、素直な思いを明かした。その上で「野球を続ける子は甲子園だけが全てじゃない。続けない子は、高校3年間は絶対ムダにならないと思う。まだまだ何でも挑戦できる年なので、何でも挑戦してほしい」と、メッセージを送った。

    2日目となった分離練習には「また気持ちを新たに『やってやるぞ』という気持ちになりました」と笑顔を見せた。開幕まで約1カ月という期間には「時間はない。実戦感覚を早く取り戻せるようにやろうと思っています」と力を込めた。

    高校球児が目指していた聖地を本拠地とする。甲子園で野球ができることについて「こういう環境でできるというのもしっかり感謝しながらプレーしないといけない」。夢を失った後輩や全国の高校3年生へ、全力プレーで勇気を届ける。「何か手本になるようなプレーができたら。『野球って面白いな』と思ってもらえたらいいなって思っています」。特別な思いを背負い、開幕に向けて白球を追いかける。【奥田隼人】




    阪神・北條「仲間を大切に」 オンライン会見に応じる  https://www.sanspo.com/baseball/news/20200521/tig20052105000002-n1.html  #阪神タイガース



    阪神・北條 無念球児の分も甲子園で躍動する「手本になるようなプレーを」― スポニチ Sponichi Annex 野球  https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/05/21/kiji/20200521s00001173127000c.html 


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     新型コロナウイルス感染拡大の影響で開幕が延期される中、今春のセンバツ中止を受けて、阪神・北條史也内野手(25)が球児たちにエールを送る。東日本大震災直後に行われた2011年センバツを皮切りに4度の甲子園出場を果たした男が、無念の思いを推し量りながら“後輩”らを激励した。

      ◇  ◇

     思わず言葉を詰まらせた。「いやぁ…僕がその立場だったら…想像できないぐらい、もう…キツいっすね、ホントに」。センバツの開催中止で甲子園の土を踏むことができなくなった球児の気持ちを思うと、北條の口から言葉が続かなかった。

     「仕方がないのは分かっています。でも、やっている側からしたら、甲子園を目指してずっと頑張っていたわけで。出場が決まっていてそれを奪われるなんて…。出ていれば、必ずいい経験になっていたと思うので」

     光星学院(現・八戸学院光星)時代には4度、甲子園に出場した。だからこそ、彼らの無念の気持ちが痛いほど分かる。

     北條が初めて聖地の土を踏んだのが、東日本大震災直後の2011年センバツ。開催が危ぶまれる中で、『がんばろう!!日本』の特別スローガンを掲げ、地震発生12日後に開幕した大会だ。

     実は地震発生時、北條は機上の人だった。「沖縄、石垣島へ遠征した帰りだったんです。青森には戻れず、一度関空で燃料だけ追加して、また沖縄に戻りました。飛行機の中にずっと十何時間かいましたね」。結局、沖縄から何日か後に関西に入り、そのまま大会へ向かっていった。

     1回戦は水城(茨城)に10-0で快勝するも、2回戦で智弁和歌山の前に敗退。青森に戻るとなじみの景色は一変していた。「もうぐちゃぐちゃになってて…。寮の棚の物も全部落ちていました」。普通に野球ができていたありがたみを痛感し、大会が開催されたことに感謝した。

     「あの時はやれたので…。今回なくなったっていうのは本当に想像ができない。甲子園に出るという経験は絶対に、その後につながりますからね」

     11年のセンバツで初めて甲子園出場を果たしたのを機に、その後は3大会連続準優勝に大きく貢献した。特に3年生で出場した12年夏には準決勝の東海大甲府(山梨)戦で大会史上初の2打席連続バックスクリーン弾を放つなど、1大会4本塁打を記録。甲子園通算29打点をマークして、清原の最多打点記録に並ぶなど大暴れした。

     「今振り返っても高校時代にプレーした甲子園って、プロでのそれとは全然違いましたよね。なんていうか、純粋に楽しかったというか…」。聖地が本拠地になった今でも、特別な思いが湧き起こる。そんな体験をしてるからこそ、今回憧れの舞台に立つことができなかった球児たちにも、同じ経験をしてほしかったという無念さが募る。

     「頑張って、また甲子園を目指してほしいですね。気持ちを整理するのに時間はかかると思う。でも気持ちの切り替えが早ければ早いほど、夏にしっかり向かっていける気がします。なかなか難しいでしょうけど、とにかく頑張ってほしいです」

     北條が何度か繰り返した「頑張ってほしい」のシンプルなフレーズ。そこに球児への真っすぐで強い思いが込められていた。




    阪神・北條から高校球児へエール「頑張ってまた甲子園を目指してほしい」  https://www.daily.co.jp/tigers/2020/03/19/0013203983.shtml  やっぱり北條は高校時代からかっこいい🥰



    北條選手と西勇輝投手が何やら投げ方談義しながらダッシュしていました。両者ともに笑顔です^^ #阪神タイガース #甲子園 #西勇輝 #北條史也 pic.twitter.com/FWTRN8mkm5


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