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    田村勤

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    引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1664858672/


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2022/10/04(火) 13:44:32.83 ID:CAP_USER9
    webスポルティーバ 10/4(火) 10:55配信

    入団2年目の92年、阪神の絶対的守護神となった田村勤

    1992年の猛虎伝~阪神タイガース"史上最驚"の2位証言者:田村勤(後編)

     1992年の阪神快進撃に不可欠だった守護神・田村勤。プロ1年目の91年から50試合に登板して3勝4セーブを挙げたなか、チームの方針で夏から抑えの「練習」を始めていた。大石清投手コーチの指導の下、先発の頭数は揃いつつあったが、リリーフ陣は脆弱だった。

     当時の抑えは、1イニング限定ではなく、8回の走者がいる場面で登坂することも頻繁にあった。ゆえに実戦で「練習」し、経験を積む必要があったのだが、では、2年目に向けてどう取り組んだのか。「たむじい」の愛称で呼ばれ、同僚に可愛がられる存在でもあった田村に聞く。

    守護神として無双状態

    「抑えをやるにあたっては、落ちる球がほしかったんです。変化球はスプリットとスライダー。下手すると2球種ぐらいでしたから(笑)。なんとか、シンカーを覚えようとしたんです。1年目から大石さんにいろいろ教わって、時折、投げましたけど、なかなか落ちなかったですね」

     課題は残ったが、いきなり故障した1年目と違い、2年目のキャンプは順調だった。50試合で59回2/3を投げた影響もなく、疲れも取り除けていたという。

    「ただ、1年目は『初回から肩をつくる』ということをずっとブルペンでやってたんです。だからなんとなく、ヒジがもうひとつだな、というのは感じていました。それが2年目は抑えになったので、試合の後半に準備することになって。『ラクだな』と思いました」

     92年の田村の初登板は開幕2試合目のヤクルト戦。3対3の同点で迎えた9回裏から登板すると、連打での一死一、二塁のピンチをしのぐ。10回表に味方打線が3点を奪って勝ち越すと、その裏は三者凡退に打ちとって初勝利を挙げた。

     その後、4月の田村は中込伸、湯舟敏郎、仲田幸司、猪俣隆が先発した6試合でセーブを挙げて勝ち星をつけ、なかでも猪俣は3勝。そのうち4試合で2イニングを投げている。同年の先発陣が好スタートをきるには欠かせない働きぶりで、失敗は一度もなかった。

    ※続きはリンク先で
    https://news.yahoo.co.jp/articles/2f0c652feebca3779155e696ca96e2ce73d3c891

    4: 名無しさん@\(^o^)/ 2022/10/04(火) 13:56:45.71 ID:/tGfl3YH0
    たむじいは打たれる気がしなかったもんな~

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    ―[職業 元プロ野球選手]―

    投げれば勝つと言われた田村勤の快進撃
     92年開幕から田村は投げ続けた。田村が投げれば勝つという不敗神話が生まれ、阪神は快進撃を見せる。だが、不敗神話は永遠には続かない。

     130試合制の中間64試合目、6月28日の甲子園での対中日戦。2点リードの9回に登場したが、4失点で初黒星を喫する。敗戦後のベンチ裏スロープで田村はふいに笑顔を見せた。微笑みというより苦笑いに近いもの。すでに限界に達していたのだろう。「投球に好不調はあるが、気力に波はない」が田村の口癖だったが、もうどうすることもできなかった。この1週間後の7月9日の大洋戦から登録抹消となり、再び一軍に戻ることはなかった。

     92年は実働3ヵ月でありながら、24試合登板 5勝1敗14セーブ 防御率1.10 投球回数41 奪三振53という脅威の数字を残した。守護神田村を失った阪神はそれでもどうにか首位戦線に残り、残り4試合でヤクルトと同率首位に並ぶ。事実上の優勝決定ゲームである10月7日の直接対決で阪神9回まで2点リードで試合を進めるも、ストッパーとして登板した湯舟、中西が打たれ、悪夢の逆転サヨナラ負け。その3日後にヤクルトは優勝を飾ったのであった。

     85年の日本一以降、阪神はまるでパンドラの箱を開けたかのように災いが降り掛かり、暗黒時代へと突入してしまった。長く暗闇の中を模索している最中、一筋の光が舞い込んで来る。左のサイドスローから繰り出す閃光眩しいクロスファイヤーの弾道。それこそパンドラの箱の最後片隅にあった“希望”の光であった。その光はそれまで漆黒の闇に包まれていた阪神ファンの心を光り輝くほどに照らしたのだった。92年は、阪神ファンにとって最も優勝に近づき、最後まで夢を見させてくれた価値あるシーズンだった。阪神ファンは今でも声を高らかに言う。

    「田村が最後までいたら絶対優勝してたで!」 

    抱えていた肘の爆弾が……
     翌93年は完全な抑えとなり、1勝1敗22セーブ 防御率2.50、球団記録の10連続セーブポイントを記録するなど、名実ともに守護神としての立場を確立する。しかし、デビューしてから実質3年の実働により田村の肘はどうしようもない爆弾を抱えてしまった。肘内側側副靱帯部分損傷。田村にとって……いや、速球投手の宿命ともいえるケガだ。引退するまで長くつきまとった業のようなものだった。94年は僅か11試合の登板となり、95年は丸々1年間リハビリに費やすこととなった。

    「94年に肩がおかしくなって、今、冷静に考えると最初から肩が悪かったのかも。もちろん肘に負担がかからないように抜いて投げるようにしていたんで、それで肩が痛めたという面と、もともと肩も悪かったと……。94、95年の2年間が一番苦しかったですね。」

     96、97年は主にショートリリーフとして2年間で90試合登板する。全盛期に及ばないものの、投げられる喜びだけで田村はある種満足だった。だが98年、またもや肘痛が再発しリハビリのため1年間戦線離脱。

    「リハビリ中はモチベーションを保てないときもありましたけど、プロというのは夢の世界であって怪我で悩めること自体、幸せなことなんですよ。野球関係者以外の知人から『別に草野球で肩が痛いんじゃなく、プロ野球の世界で肩が痛いんだから、いいんじゃないか』と言われ、そりゃそうだなと。前向きに投げられることだけ考えようと素直な気持ちでいるように心がけました」

    ▼記事全文はこちら



    アラフォーで10代からの阪神ファンなら絶対刺さる投手よな田村勤は 【あの人は今】暗黒時代の守護神田村に会いに行って現状を聞いてみた  https://youtu.be/o2zIQ2ifu68  @YouTubeより



    1992年 阪神タイガース 嶋尾康史 25試 1勝2敗1S 2.39 御子柴進 29試 1勝2敗 1.53 中西清起 31試 2勝5敗3S 4.76 弓長起浩 51試 4勝1敗4S 1.35 田村勤 24試 5勝1敗14S 1.10


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     藤浪晋太郎投手(26)ら3選手が新型コロナウイルスに感染した阪神は15日から甲子園球場と二軍施設の鳴尾浜球場を選手たちの自主練習の場として開放する。3月27日から全選手、全スタッフを無期限で自宅待機させていたチームはようやく再始動に向けて第一歩を踏み出した格好だが“球界コロナ騒動”の震源地として、当面は制限の多い環境下でのトレーニングになってしまうことは避けられそうにない。

     練習施設内においては「3密」を避けるため、選手・スタッフ間での1・5メートル内の接近や不要な会話はNG。クラブハウスで提供される食事は個包装の弁当に限られ、練習後の入浴やシャワーも禁止で「練習行き帰りの外食や、球団施設外のスポーツジムへの立ち入りや『会食』も全面禁止としています」(球団広報)。選手たちにとって居心地の悪い状況は当面続くことになる。

     ただ、ものは考えようだ。制限は多くても練習ができないわけではない。かつて虎の守護神として名をはせ、現在は兵庫・西宮市内で整骨院を営むOBの田村勤氏(54)は、こんな時だからこそ「家の中でも、体を維持するために十分なトレーニングを積むことはできる」と「#おうち時間」の重要性を訴える。

     チームが6年ぶりにAクラス入り(2位)した1992年には前半戦だけで5勝1敗14セーブ、防御率1・10の好成績を残し、翌93年には22セーブをマークしたが、12年間に及んだ田村氏の現役生活は左ヒジ痛や左肩痛との闘いの連続で「最長で1年以上グラウンドに立てなかったこともありました」。それでも気持ちを切らすことなく「そんな時こそ自宅でのトレーニングを大切にしてきた」という。

     体幹トレーニングやシャドーピッチングはもちろん「リリースの感覚を忘れないように、押し入れの中の布団に向かって硬球を投げ込んだりしていました」。故障に悩まされながらも96年から99年までの4年間で3度も40試合以上に登板できたのは“コソ練”の成果でもあった。

     困難な状況でもできることはある。田村氏からのエールは後輩たちに届くか――。




    田村勤懐かしい。 阪神OBの田村勤氏 ナインに“コソ練”のススメ  https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/1815138/  #スマートニュース



    めっちゃ好きだった投手!田村は必ず抑えてくれていた!左の田村は最高よ!阪神OBの田村勤氏 ナインに“コソ練”のススメ(東スポWeb)  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200414-00000034-tospoweb-base 


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    1: 砂漠のマスカレード ★ 2018/11/12(月) 10:48:57.28 ID:CAP_USER9
    元阪神投手の田村勤さん(53)が院長を務める兵庫県西宮市の田村整骨院には近所の子どもからお年寄りまで長い付き合いの患者さんが多く訪れている。

    開業から13年。院内は笑い声が響きアットホームな雰囲気に包まれている。
    「10年ぐらい来てる子もいます。第2のわが家みたいな感じなんですかね。学校の保健室とか部室みたいとか言われたり。駆け込み寺的な場所になれたらと思ってます」。
    投球用のネットにグラブ、ボールなどが完備されたトレーニングスペースでは院長直々に野球少年たちのフォームチェックをすることもある。

    現役時代、ファンから親しみを込めて「たむじい」と呼ばれていた田村さんだが、マウンド上では孤高の守護神だった。
    プロ1年目は中継ぎ、抑えとして50試合に登板。
    2年目の92年は前半戦だけで24試合に登板し5勝1敗14セーブ。左サイドから打者を三振に斬る姿はファンに鮮烈な印象を残した。
    しかし過酷な役回りに肘は悲鳴を上げ球宴前に戦線離脱。その年チームは優勝を逃した。

    翌年には復活し22セーブを挙げたが、その後も肩肘の故障に苦しめられ、1度も登板できないシーズンも過ごした。「枯れるまでやったろうと思ってたんですけど、最後は肩が回らずどうしようもなくなって…」。
    02年、移籍先のオリックスでマウンドに気持ちを残したまま引退した。

    プロ入りまでは故障知らずだっただけに、自分の肘が壊れることなど想像もしなかったという。
    だからこそ、治療に訪れる子どもたちには「若い時にケアやトレーニングの重要性を知るのは、後々いいことかもしれないと言えるし、自分が故障が多かったことで伝えられることがある」との思いがある。

    現役への執着から引退後の数年間はトライアウトを受ける夢をよく見ていたというが、歳月がやっと気持ちに折り合いをつけてくれた。「53歳ですから。あわよくば、なんて妄想が出ることもなくなった」と笑う。

    整骨院が休みの日曜には、故郷の静岡県にある藤枝明誠高校と石川県の金沢龍谷高校の野球部に出向き指導するのが仕事とは別の楽しみ。
    今もキャッチボールを気持ちよく行うことはできないが、指導者として過ごすうちに「お手本となるボールを放れるようになりたい」という新たな欲求が芽生えてきている。

    「これまでは人の肩肘ばかりを診てきましたけど、やっと自分の肩肘を治すつもりでやってもいいかなって。
    コーチなんだから投げられる方がいいし、自分を鍛え直して生き生きしてないと患者さんも施術受けたいと思わんでしょ」。
    地域に根ざした整骨院の院長は投球再開を目指して自分自身にも向き合っていくつもりでいる。(デイリースポーツ・若林みどり)

    ◆田村 勤(たむら・つとむ)1965年8月18日生まれ。静岡県出身。
    島田高、駒沢大学から本田技研を経て、90年のドラフト4位で阪神入団。
    プロ1年目から中継ぎ、抑えを務め、翌年から守護神として活躍。93年に22セーブ。当時の球団記録である10連続セーブも達成。
    オリックスに移籍後02年に引退。
    通算9年で287試合に登板、13勝12敗54セーブ、防御率2・90。05年から兵庫県西宮市で「田村整骨院」を開業。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181112-00000047-dal-base
    11/12(月) 10:00配信


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    成績
    http://npb.jp/bis/players/31733883.html





    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1541987337/

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