とらほー速報

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    落合博満

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 20/09/12(土)16:07:44 ID:0Pr
    2007年は楽しかったンゴねぇ

    5: 名無しさん@\(^o^)/ 20/09/12(土)16:11:31 ID:c0o
    no title

    6: 名無しさん@\(^o^)/ 20/09/12(土)17:53:49 ID:ZZ0
    >>5
    原に対抗できるのは
    オッチとどんでんしかおらんなあ

    引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1599894464/

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      7月4、5日の広島戦(マツダスタジアム)は投打ががっちりかみ合い2連勝した阪神だが、開幕から2週間で大きくつまずいたのが響き、4勝10敗の借金6で最下位(7日現在)と依然として厳しい状況だ。

     矢野燿大監督は3年契約の2年目。昨年はシーズン終盤に怒濤の6連勝で3位に滑り込み、クライマックスシリーズ(CS)進出と及第点の成績だった。しかし、今季は采配に疑問の声が多い。
     
     前任の金本知憲監督は新たに3年契約を結んだ2018年に17年ぶりの最下位に沈んだ責任を取り、同年限りで辞任している。阪神を取り巻く空気として、「成績が低迷したら監督が責任を被る。複数年契約はあってないようなもの」という見方で一致している。
     
     最後にリーグ優勝したのは岡田彰布政権の05年。真弓明信、和田豊、金本……。選手時代は主軸としてチームを支え、指揮官として頂点を目指したが、志半ばでチームを去った。阪神は関西の象徴だ。メディアに連日大きく取り上げられ、少しでも負けが込めばたたかれ、ファンの怒りの矛先は監督に向く。
     
     冷静に考えて、この戦力で優勝は厳しい。腰を据えて若手を育てて、2、3年後に優勝を目指すべきだろう。ただ、ファンがそれを許さない。補強した新外国人が力を発揮できず、その外国人に出場機会を奪われた若手が育たずに伸び悩む。近年の阪神はこの悪循環が続いているように感じる。
     
     在阪スポーツ紙のデスクはチーム再建へ、阪神OBでなく外部からの監督招聘(しょうへい)を提案する。

    「星野仙一さんがジョージ・アリアス、片岡篤史、金本、伊良部秀輝、下柳剛、久慈照嘉と大型補強して03年にリーグ優勝を飾ったように、チームの雰囲気をガラッと変えられるカリスマ性を持った人が良いと思います。個人的には、中日の監督で8年間すべてAクラス、リーグ優勝4回と黄金時代を築いた落合博満さんが、阪神の監督になってどういうチームを作るのか見てみたい」




    最下位低迷の阪神 再建できる新監督は「落合博満」の声 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)  https://dot.asahi.com/wa/2020070800085.html  勝てさえすれば、ファンは少なくともついてくる。 守り重視の野球は、広い甲子園に向いているから、その点もいい。



    情報管理が難しい 最下位低迷の阪神 再建できる新監督は「落合博満」の声〈週刊朝日〉(AERA dot.)  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200708-00000085-sasahi-base 



    最下位低迷の阪神 再建できる新監督は「落合博満」の声〈週刊朝日〉(AERA dot.)  https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200708-00000085-sasahi-base  掛布さんを監督にすればいいじゃな~い!(笑)


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/08(金) 11:59:00.44 ID:TpikPTEG9
    【球界平成裏面史(17)・中日落合舌禍事件(2)】
    平成元年(1989年)1月17日に長野県・昼神温泉で起きた“落合舌禍事件”。
    その地での自主トレ初日終了後に、中日・落合博満内野手は、キャンプインまでにベスト体重にならないと1キロにつき、罰金10万円との首脳陣の方針に
    「なんでかね…。俺は体重計には乗らないよ」と不満をぶち上げ、さらに「昔、早くから動いていなかった人ほど、指導者になって早くからやれっていう」など、星野仙一監督批判と受け取れるコメントを口にした。

     もっとも、落合はその取材対応の中で「星野監督」の名前を一切、出していない。
    すべては、暗に指揮官に対してのものだろうと、報道陣が解釈してのことだった。
    だからだったのだろうか。あの時、落合は記者にも「俺が言ったことをそのまま書けばいいんだよ」と穏やかな表情で、諭すように話した。
    でも、その時は腹をくくっているようにしか見えなかった。
    各社が「星野批判」と大きく報道するのは十分に想像できる状況だっただけに…。

     実は記者がそう思った理由は、もうひとつあった。
    完全な内輪話ながら、当時の記者は88年11月中旬から、ある記事が原因で星野監督に取材拒否を食らっていた。
    それは89年2月のオーストラリアキャンプ初日に解除となったのだが、この昼神温泉での“舌禍事件”の時は、そういう状況で、記者は落合に「今、星野監督に取材を拒否されているんですよ」と打ち明けた。
    これにオレ流は「選手は(マスコミに)話さなくてもいいけど、監督はちゃんと話をしないとダメ」ときっぱり。
    そして、また笑みを浮かべながら「あんなヤツ、無視しろ!」と言ったのだ。

     この時も落合は「星野監督」の名前は出していなかったが、質問した記者は「星野監督」の名前をはっきりと口にした。
    そんな中でのこの反応に、記者は、落合と星野監督の不穏な関係を感じずにはいられなかった。
    自主トレ初日を終えた後の過激な発言は、やはり指揮官への不満があってのことと記者が判断した瞬間でもあった。

     そして騒動は拡大した。翌1月18日、スポーツ紙はどこも大きく報道。これを受け、岡山での野球教室に姿を見せた星野監督は報道陣に「落合があくまで自己流でやりたいというのなら、
    スタッフと話し合って決めればいいことだ。アイツにはアイツなりの考え方、やり方があるのだろうから」とコメントした。表面上は…。

     中日球団サイドも黙っていなかった。中山了球団社長は「もっか伊藤(濶夫球団)代表に、その日の落合の言動を調べてもらっている」と言い、スポーツ紙などをすべてチェック、ニュアンスの違いなども細かく分析した。
    その上で「大打者だからといって、言っていいことではない」と処分を検討しはじめた。

     球団に対して落合は「一般論を話しただけ」と反論したそうだが、中山球団社長が「一般論としては言い過ぎだ。自分自身の問題と一般論をごちゃまぜにしている」と発言するなど、オレ流の立場は悪くなるばかりだった。

    だが、落合も引かなかった。自主トレ先の昼神温泉での“籠城”が始まった。

     =続く=

    5/8(金) 11:00
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200508-01841733-tospoweb-base

    no title

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    3: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/08(金) 12:02:44.40 ID:69f661380
    キャンプ初日に紅白戦やります

    5: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/08(金) 12:04:12.68 ID:CbIFCSHT0
    見るからに合わなそうだもんな

    12: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/08(金) 12:09:30.17 ID:FyrQY10W0
    >>5
    「体罰大好き」と「体罰大嫌い」だからな

    引用元: http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1588905768/

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    ○1982年:落合博満(ロッテ)
    打率.325(.010)32本(2)99打点(14)
     1981年に初めて規定打席に到達していきなり首位打者になった落合は、その翌年の1982年に3冠王となった。本塁打では日本ハムのソレイタと激しい競り合いを演じたが、2本差で振り切った。28歳のシーズンでの3冠王は史上最年少だった。

    ○1984年:ブーマー・ウェルズ(阪急)
    打率.355(.008)37本(4)130打点(29)
     1983年に来日したブーマーは来日2年目に外国人で初となる3冠王となった。身長2メートル、体重100キロの巨漢だったが、パワーに加えて巧みなバットコントロールも発揮し、この年はパ・リーグMVPにも輝いた。

    ○1985年:ランディ・バース(阪神)
    打率.350(.008)54本(14)134打点(22)
     阪神が21年ぶりにリーグ優勝を果たした1985年。バース、掛布、岡田、真弓と実に4選手が30本塁打を記録して圧倒的な打力でリーグを制した。この年が来日3年目だったバースは、打線の核として驚異的な打棒をふるった。

    ○1985年:落合博満(ロッテ) 
    打率.367(.024)52本(12)146打点(24)
     1982年にも3冠王となっていた落合は、王貞治に次ぐ史上2人目となる2度目の3冠王に輝いた。この年の146打点は歴代3冠王のなかでも最多。バースも3冠王となり、初めてセパ両リーグで同時に「3冠王」が誕生した。

    ○1986年:ランディ・バース(阪神)
    打率.389(.026)47本(10)109打点(4)
     前年にリーグ優勝を果たしていた阪神は3位に沈んだものの、バースの打撃はさらに凄みを増すシーズンとなった。NPB記録である打率.389をマークし、2年連続で3冠王に輝いた。

    1985年、1986年は2年連続でセパ両リーグで3冠王が誕生
    ○1986年:落合博満(ロッテ)
    打率.360(.010)50本(8)116打点(1)
     NPB史上でただ1人となる3度目の3冠王に輝いた1986年の落合。1984年の3冠王ブーマー、西武の秋山幸二との競り合いを繰り広げ、打点は秋山とわずか1点差だった。2年連続でセパ両リーグで3冠王が誕生。これはNPBの歴史でもこの1度しかない。

    ○2004年:松中信彦(ダイエー)
    打率.358(.013)44本(0)120打点(12)
     1986年の落合から18年後、松中が“平成唯一の3冠王”となった。本塁打王は、日本ハムのセギノールと44本塁打で分け合った。タイトルを分け合っての3冠王は11度で唯一だった。

     それでは“3冠王の中の3冠王”を以下の3条件で選んでみたい。

    ・各部門で2位との差が大きいこと
    ・3部門の数字が客観的に高いこと
    ・リーグの平均値より傑出していること

     単純に数字だけを比較すれば、打率.350、50本塁打、130打点をすべてクリアした1985年の阪神ランディ・バースとロッテ落合博満が最高と言うことになる。しかし、1985年のリーグ打率は両リーグともに.272と高かった。また、1985年の本塁打数はセが947本、パが1050本。バースの本塁打はリーグ全体の5.7%、落合は5.1%だった。リーグ打点はセが3488点、パが3872点。バース、落合の打点は、ともにリーグ全体の3.8%だった。

     これに比べると、王貞治の1973年の3冠王は打点だけが130点に届いていない。しかし、1973年のセ・リーグのリーグ打率は.237。1985年よりはるかに打低だった。この年のセ・リーグの本塁打数は679本。王の本塁打はリーグ全体の7.5%を占める。リーグ打点は2499点。王1人でリーグ全体の4.6%となる。3部門とも2位との差は大きい。これらを勘案すると「3冠王の中の3冠王」は、投高打低の時代に、飛び抜けた成績を残した1973年の王貞治と言えるのではないだろうか。




    王かバースか落合か… 84年で7人しかいない3冠王で“最強の3冠王”は?(Full-Count)  https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200503-00764391-fullcount-base  比べることがナンセンス


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/03(日) 05:50:36.18 ID:YxDp2WZl9
    元プロ野球選手の清原和博氏が、元阪神・片岡篤史氏が28日にアップしたユーチューブ動画に出演。元プロ野球選手・監督の落合博満氏について言及した。

    片岡氏は新型コロナウイルス感染を公表した14日の動画で、今後出る動画は事前にストックしていたものと視聴者に説明している。そのストックの1つである本動画に出演した清原氏は、自身が現役時代に対戦した選手の印象やエピソードについてトーク。その中で、2年連続三冠王(1985-1986)に輝いたロッテ時代の落合氏について語った。

    落合氏が2年連続三冠王を獲得した1986年に西武に入団した清原氏。落合氏は普通の選手とは打った時の打球音が違うといい、「普通の人の打球音は『カキーン』。(落合氏は)『ビシャッ』って、なんか交通事故みたいな音」だったという。

    落合氏は選球眼も卓越していたといい、「ボール球全然振らへん。『なんであれ止まるんかな』って(感じ)」とのこと。清原氏が入団した当時の西武には渡辺久信、工藤公康、郭泰源といった好投手がいたが、彼らの変化球もきっちりと見極め難なく打ち返していたという。

    「(落合氏の)ハーフスイングも見たことないし、ワンバウンド(の球を)振ったところも見たことない」という清原氏。「どんな投手が来てもタイミングが全部合ってるように見えた。(当時は)『ああいうふうになるにはどうしたらいいんかな』って思ってた」と落合氏を目標にしていたと語っていた。

    今回の動画を受け、動画のコメント欄やネット上には「確かに当時は見てて、よくあのボール振らなかったなって思ったことは何回もあった」、「落合は500本以上(510本)ホームラン打ってるけど、同じくらい(525本)打ってる清原が言うと説得力あるな」、「昔出した本の中で神様って言ってたくらいだし相当憧れてたんだろうな」、「落合はその辺の年からずっとシーズンの四球数が一番多かった気がする」といった反応が多数寄せられている。

    現役時代に西武(1986-1996)、巨人(1997-2005)、オリックス(2006-2008)でプレーした52歳の清原氏と、ロッテ(1979-1986)、中日(1987-1993)、巨人(1994-1996)、日本ハム(1997-1998)でプレーし、引退後は中日(2004-2011)で監督も務めた66歳の落合氏。両者は1986年に共にパ・リーグでプレーし、2004年から2008年にかけては選手、監督としてセ・リーグや交流戦でしのぎを削っている。

    その落合氏について、清原氏は2009年出版の自伝『男道』(幻冬舎文庫)の中で「落合さんは僕のルーキー時代からの、恩師のような人」、「バッティングの神様だった。少しでも神様に近づきたくて、ロッテとの試合ともなると、落合さんから目が離せなかった」などと記している。

    正式なタイトルとして表彰はされないが、プロ20年間で通算9回(1984-1991,1993)リーグ四球王に輝いている落合氏。その選球眼は清原氏から見ても驚くべきものであったようだ

    http://dailynewsonline.jp/article/2316617/?page=2
    2020.04.30 17:00 リアルライブ



    7: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/03(日) 05:58:50.09 ID:TZYhjdnO0
    達川の落合評も面白い
    やはり選球眼を褒めている

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1588452636/

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