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<THE GAME(13)>99年6月12日 阪神VS.巨人

<阪神5-4巨人>◇1999年(平11)6月12日◇甲子園

球史に残る阪神新庄剛志の「敬遠球打ち」で決着がついた試合。ラストの劇的さ、レアさが目立つけれど試合内容は野球ファンが楽しめる好ゲーム、さらに背景も豪快なものだった。

就任1年目で異様なまでの盛り上がりを見せていた野村阪神。それを象徴するような試合だった。野村阪神は3年連続最下位に沈んだので想像できないかもしれないが、この試合の時点で首位攻防戦だった。

しかも首位は野村率いる阪神の方だ。それを2ゲーム差で追う長嶋巨人。阪神の4番打者は新庄で巨人の4番は清原和博だ。虎党だけでなく野球ファンにもたまらない試合だった。

阪神川尻哲郎、巨人斎藤雅樹の先発で始まった接戦。先制は巨人だったが阪神も粘る。1-3と2点を追う7回裏は代打・八木裕の適時打などで同点とした。それでも巨人は8回、村田真一の本塁打で1点勝ち越し。しかし、ここで甲子園を歓喜させたのはやはり新庄だった。8回裏に同点ソロ。敬遠打ちがクローズアップされるがしっかり本塁打も放っていた。

そして有名な延長12回裏1死一、三塁の場面を迎えた。巨人ベンチはマウンド上の槙原寛己に敬遠の指示を出す。捕手はこのシーズン、近鉄、中日を経て巨人に移籍していた光山英和だった。現在は楽天で1軍バッテリー兼守備戦略コーチを務める。

1球目、光山は立って構えていた。しかし槙原の初球が低めに来た。新庄の直前、今岡誠も敬遠で歩かせていたのだが、そのときも槙原の投球は低くなっていた。

座った方がいいと感じた光山はジェスチャーで「座りましょうか?」と槙原に伝えたが答えは「大丈夫」。そのやりとりの際、光山は新庄の様子が気になっていた。サインの確認は当然としても何か意図を持って阪神ベンチを見ている感じがしたという。まさかなあ…。そう思っての2球目。これもミットを構えていたところより低めに来た。

この外角球を新庄は思い切り踏み込んで打った。打球はゴロで左前に抜けるサヨナラ打となった。歓喜の甲子園で行われたヒーローインタビューですでに新庄が裏話をしている。

新庄 ボクの師匠の柏原さんも昔、敬遠球を打っている。ベンチを見たら「打て!」と言っていた。ショートがセカンドにくっついているので三遊間にゴロを打てばもしかしたら抜けるのでは…と思った。

新庄の言う通り、柏原は日本ハム時代の81年7月19日の西武戦で西武の左腕・永射保から敬遠球を打って本塁打している。それを知った新庄は、以前から「敬遠の場面で打ってもいいですか」と相談していた。柏原も野村と事前に確認していたという。

「まあ野村さんは『勝手にせい』みたいな感じで笑ってたけどね」。柏原からはそう聞いた。緻密な野村野球からは考えられないが、投手の経験までさせ、新庄の成長を促していた野村だから否定しなかった。柔軟な知将のすごさと同時にある意味、パ・リーグの豪快野球が根づいていた場面でもあった。

さらにさすが、と思わせたのは巨人長嶋だ。新庄の最後の打撃は「左足が打席から出ていたのでは」とベンチで声が上がった。実際に長嶋もベンチを出てホームの方向へ歩いたのだが…。

「あのとき原さん(辰徳=当時1軍野手総合コーチ)とかベンチでみんな怒っていたけど、長嶋さんだけは冷静に言ってたんです。『いいよ。いいよ』って」(光山)。

時代は平成になっていたが「昭和の香り」を残す豪快な試合だった。延長12回の決着で記事の締め切り時間にも追われ、必死の思いで原稿を書いたのだが、のちに他の虎番記者たちから「こんな記事を書けていいな」とうらやましがられた。(所属は当時、敬称略)【編集委員・高原寿夫】




【新庄氏の敬遠サヨナラ打 裏話】  https://yahoo.jp/KEJzVu  球史に残る新庄剛志氏の「敬遠球打ち」で決着がついた試合。当時の捕手によると、「原さんとかベンチでみんな怒っていたけど、長嶋さんだけは冷静に言ってたんです。『いいよ。いいよ』って」。



@YahooNewsTopics 新庄なら申告敬遠でも打つぞ! やるな、これ



@YahooNewsTopics 日本野球にカムバック。 めっちゃハードル高いだろうけど、 この人なら・・・、と ちょっと思ってしまう自分が面白い。  https://ai-trust.info/olympic-2/1280/  Nothing to lose、是非、頑張ってほしい!! #GW明け


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