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 【元阪神ドラ1伊藤隼太 戦力外からのハローワーク(1)】

 プロ野球12球団が宮崎、沖縄で一斉にキャンプインした2月1日。人気球団のドラフト1位ルーキーとして9年前、球春に大きな脚光を浴びた男が、松山市のグラウンドで新たな野球人生をスタートさせた。昨季限りで阪神を戦力外となり、独立リーグの四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツに野手コーチ兼選手として新加入した伊藤隼太外野手(31)。華やかな世界を後にして2カ月間、かつての野球エリートは何を思い、どう過ごしたのか。短期集中連載で独白する。

 その日は突然やってきた。2軍戦全日程終了後の昨年11月3日。鳴尾浜球場での練習後、2軍マネジャーに封筒をポンと渡された。「明日、紙に書いた時間に指定したホテルに行ってほしい」。

 翌日午前にスーツ姿で訪れたホテルの一室。嶌村球団副本部長とともに待っていた、谷本本部長に「来季の契約はしません。9年間、ドラフト1位で入っていろんなプレッシャーもあったと思いますが、チームのためにやってくれてありがとう」と告げられた。

 「時間にして5分もかかっていないくらい、ほんと短かったですね。家族には前から『今年でクビかも』とは話していましたし、妻はビックリしている感じに見えないよう気を使ってくれていたと思います。3歳になる1人息子はまだ小さいので分かってませんけどね」

 金本前監督最終年の2018年は1軍で自身最多96試合に出場。左の代打1番手として一振りにかけたが、矢野監督に代わってからの2年間は一度も昇格できなかった。球団内で自分が置かれた立場にも察するところがあり、「クビを宣告されたら即、球界を去ろう」と心に決めていた。

 しかし、野球人生の区切りとなるはずの打席は回って来なかった。10月30日からタマスタ筑後で行われた、ソフトバンク2軍とのウエスタンリーグ最終3連戦。「ずっと1軍に昇格できていないので、戦力外になることを覚悟して試合に臨みました」。1戦目は2打席立てたが、2戦目からは代打待機。ベンチ裏で準備を続けた。出番が来そうな場面では、ベンチで防具を着けバットを持ってアピールもしたが、名前を呼ばれないままシーズン全日程が終了した。

 「燃え尽きるつもりで準備していたのに、できませんでした」。そして「このままじゃ終われない」と悔しさが募る自分に気づいた。戦力外通告を受けた後も、その思いは変わらず。約1カ月後に神宮球場で行われる、12球団合同トライアウトの受験を決めた。現実は厳しいと知りながらも、「NPBを目指すことを掲げないと、モチベーションを維持できない自分もいました」。 (明日に続く)

 ■伊藤隼太(いとう・はやた) 1989年5月8日、愛知県瀬戸市出身。中京大中京高で通算29本塁打。慶応大では東京六大学を代表する左のスラッガーとして活躍し、3年時の世界大学選手権では日本代表の4番に座った。2011年ドラフト1位で阪神入団。外野の定位置獲得には至らず、20年オフに戦力外通告を受けた。通算365試合出場で打率・240、10本塁打。今年1月に独立リーグの四国アイランドリーグplus・愛媛に球団初の野手コーチ兼選手として加入。公式Youtubeチャンネル「伊藤隼太の独壇場」を開設。家族は夫人と1男。




【今日の紙面から】 ・元阪神ドラ1、伊藤隼太〝独白〟連載 「戦力外からのハローワーク」② 2年間、1軍出場ゼロ。ライバルや後輩が昇格する中迎えた背水のシーズン。コロナ感染で狂った歯車… #hanshintigers #TigersDreamlink #mappy_e #愛媛マンダリンパイレーツ #伊藤隼太 #npb #ホムラジ #夕刊フジ pic.twitter.com/e9CzKYbp8Y





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