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    野田浩司

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    引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1671930204/


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2022/12/25(日) 10:03:24.35 ID:+3qR60Xw9
    野田浩司氏の自宅に押し寄せた報道陣…情報漏れぬようトイレから連絡

    トレードが野球人生を好転させた。
    1987年ドラフト会議で阪神に1位指名された右腕・野田浩司氏は1992年オフ、オリックスに移籍した。

    史上最高のスイッチヒッターと呼ばれた松永浩美氏との1対1の交換で、その後、野田氏は最多勝のタイトル獲得、

    1試合19奪三振の日本記録達成、リーグ制覇や日本一にも貢献……。

    振り返れば大きなプラスをもたらしたが、移籍通告を受けた時は拒否したかったのを泣く泣く断念しての承諾だった。

    それも思わぬ場所で返事していた。

    阪神・三好一彦球団社長から芦屋市内のホテルでオリックスへのトレードを通告された野田氏は、
    返事を保留して西宮市内の自宅に戻った。何とかして断る方法はないか。
    それだけを考え、当時、労働組合日本プロ野球選手会会長だった岡田彰布氏(現阪神監督)に相談。
    いろいろ検討してもらった結果、拒否は難しいと判断せざる得ない状況を知ったが、まだ結論は出せない状況で一夜が明けた。

    だが「どうしようか」と考えるより前に、報道陣が朝から押し寄せてきた。
    「午前8時頃からピンポンピンポンでした。
    きのう通告されて、阪神に返事もしていなのに、何で知っているんだろうと思ったら

    『松永さんが言っている』って」。

    これに野田氏はもう返事するしかないと思ったという。
    そんな中、気になったのが「球団に電話している声が外に聞こえるんじゃないか」ということだった。
    「変な話、家の壁の3、4メートル先に報道陣がいましたからね。聞こうと思ったら、絶対聞こえますから」。
    隣の声も聞こえてくるくらいの構造だったそうだが、それほど、このトレード問題に関しては神経過敏にもなっていたということだろう。
    「普通に家でしゃべっていると聞かれると思った。聞き耳を立てていれば、わかると思った」。
    そこで野田氏はトイレに入ったという。万全を期した。
    「ここなら大丈夫だろうと思ってね。トイレで三好社長と話をしました。オリックスに行きますと返事をしました。あそこで成立となりましたね」。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/646836fbb65e778a86771639f23deaeb9e554481
    12/25(日) 6:50配信

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    引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1671854890/


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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2022/12/24(土) 13:08:10.10 ID:7fD/KpuJ0EVE
    https://news.yahoo.co.jp/articles/0af82042a2043dc7b5b31e62f702c7606d7bec1d
    「どうすれば阪神に残れますか?」 禁断の“トレード拒否”を模索…思い知った現実

     結果、当時のチームの“顔”である岡田彰布氏(現監督)の自宅に向かった。「西口さんが連れていってくれた。『そういう話なら、岡田さんに相談するのが一番やろ』ってね」。岡田氏は当時、労働組合日本プロ野球選手会会長を務めていた。
    野田氏は、通告されたオリックスへのトレードを拒否する方法がないか、問い合わせた。「断るとペナルティがあることを教えてもらった。3か月か半年の出場停止とか、減俸などは覚悟しなければいけないとか……」。

     岡田氏はそれこそ、親身になって考えてくれた。だが、トレード拒否の選択は難しかった。すでに現場レベルでは成立しているトレードだけに「無理矢理(阪神に)残ってもやりにくいだろうとか、そういうアドバイスももらいました」。
    複雑な思いを抱えながら野田氏は自宅に戻った。「岡田さんにいろいろ聞いて、もう(オリックスに)行くしかないんかと思って寝たのは覚えています」。それでも、できれば、夢であってほしいと願った。

    8: 名無しさん@\(^o^)/ 2022/12/24(土) 13:12:12.35 ID:jy566aJHdEVE
    引退後のこと考えたらね

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    引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1671833362/

    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2022/12/24(土) 07:09:22.65 ID:qyiAoO1A9
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    阪神・野田浩司投手とオリックス・松永浩美内野手の電撃トレードは1992年の年の瀬に成立した。
    1987年ドラフト1位で入団して1991年には開幕投手も務めたプロ5年目の有望右腕と

    サイクル安打や日本人初の左右打席本塁打などを記録した最強スイッチヒッターの交換だけに、大きな話題になったが、
    そこにたどり着くまでにはいろいろ……。

    当事者の一人である野田氏は通告を受けた後、まず最初に断る方法を模索したという。


    野田氏は芦屋市内のホテルで阪神・三好一彦球団社長から松永とのトレードを通告された。
    覚悟はしていた。
    「嫁さんと旅行に行って、帰ってきたら球団からの留守番電話が何件も入っていた。

    最初は(中村勝広)監督と会ってくれだったんで、来年は抑えの腹づもりで自主トレをやってくれって話かなと思っていたんですが、
    監督に電話したら『会う人が社長に変わったから』と言われて、うわっ、トレードやって思ったんです」。
    そこからいろいろ考えた。行き先として頭に浮かんだのは巨人だった。
    「どこだったかは忘れましたが、阪神が(巨人内野手の)岡崎(郁)さんを獲りに動いているって報道があったんです。
    打線強化のためにね。相手が僕とは書いてなかったですけど、そういうこともあるのかなってね」。
    芦屋市内のホテルまでの道中でも、そのことが頭にあったという。
    「ホテルには嫁さんも行くわって一緒に車で行った。社長と会っている時、嫁さんは車で待っていましたけどね」。
    “予想”は外れてトレード先はオリックス。

    「ショックな半面、頭の隅っこには同じ関西圏で良かったというホッとした部分はありました。
    でも、その時は行くつもりなどありませんでした。まずは断ることしか考えていなかった。正直、断れるんじゃないかとも思っていた」。
    通告後、西宮市内の自宅に戻って、中村監督と電話で話した。「監督からも社長と同じ感じの話でした。申し訳ないけど、今年は打線が弱かったので、みたいな」。

    12/24(土) 6:50配信
    https://news.yahoo.co.jp/articles/0af82042a2043dc7b5b31e62f702c7606d7bec1d?page=2

    続きはソースにてお願いします

    https://npb.jp/bis/players/11313866.html
    成績

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    4: 名無しさん@\(^o^)/ 2022/12/24(土) 07:14:58.51 ID:8Zpdj/IB0
    結局阪神が大損のトレードやったな

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    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2018/12/18(火) 07:07:17.80 ID:CAP_USER9
     1992年オフ、当時は阪神に所属していた野田浩司(50)は、電撃トレードでオリックスに移籍する。そのトレード相手は、オリックスの前身・阪急時代から球団の顔だった、松永浩美だった。

     トレードの内幕を野田と元オリックス球団代表・井箟重慶(83)が語る。

    ――井箟さんがトレードで野田さんに白羽の矢を立てられた理由は何だったんですか?

    井箟 当時、投手が足りなかった。完投できる先発投手が欲しかったんです。
    でも完投できる投手というのは上位クラスの投手なので、どのチームに行っても簡単には出さない。
    阪神から「誰とですか?」と聞かれたとき、それなりの選手を用意しないといけないということで、松永を出したんです。

    野田 トレードの後、すぐに言われたのが「1万円札と千円札を交換した」と(笑)。実績が全然違いますから。
    松永さんなんか3割を何年も続けて打っているバリバリの頃でしたからね。

    井箟 いまだから言うけど、この話を阪神に持ち込んだとき、当時の三好一彦球団社長に直接電話して、会ったんです。
    「二人だけの話やで。俺も監督としか話してない。オーナーとも話してない。あんたも絶対に球団内で誰にも話さないでくれ。でないと、この話が絶対に潰れるよ」と言いました。
     三好さんが「どういうことですか」と言うので、「うちは松永を用意するので、これを指名したってことになったらマスコミが大騒ぎになるから、ほかの人に話してはいけない」と口止めしました。

    野田 12月だったんですけど、話がまとまるのに時間がかかったんじゃないですか?

    井箟 阪神の中でゴタゴタがあったんだろうな。

    野田 じつは僕が1週間ぐらい旅行に行ってたんですよ。家に帰ったら、何回も球団から留守電が入ってたんです(笑)。
    「ちょっと話したいんやけど、電話ください」って。1週間で3~4回入ってました。

    井箟 それで時間がかかったんかな(笑)。

    野田 折り返しで電話したら、最初は監督が会いたいと言うので、「来年は抑えをしてくれって話かなあ」とのんきに考えていたんです。
    そうしたら、前の日に電話がかかってきて「(会うのが)監督から社長に変わったから」と言われたんです。「あ~、もうトレードしかないわ」と思いました(笑)。

    井箟 当時は何年めだった?

    野田 5年めでしたね。優勝争いをしていた年のオフだったんで、来年こそ優勝や! ってなっていた。
    決まったのが12月27日か28日で、ちょうど正月に入る時期だったのが助かりました。
    気持ちがスッキリ切り替えることができたんです。年越しで、よっしゃー! やるぞ!! という気持ちで。
    (甲子園のある)西宮に家を買っていたんですけど、こんなところから通いたくないわと思って、すぐに神戸に引っ越しました。
    (西宮だと)「阪神の野田」というイメージが残りますから、引っ越しをまず決めて、年越しから完全にオリックスモードになりました(笑)

    のだこうじ 1968年2月9日生まれ 熊本県出身 1987年にドラフト1位で阪神に入団。
    オリックスへ移籍した1993年は最多勝投手に。
    「お化けフォーク」を武器に1995年には1試合19奪三振の日本記録を達成。
    推定最高年俸は、1997年の1億1500万円。現在は神戸市で料理店「まる九」を経営

    いのうしげよし 1935年3月15日生まれ 岐阜県出身 1959年に丸善石油入社。
    丸善石油野球部マネージャーの経験を買われ、1989年に球団常務としてオリックス入団。
    翌年から2000年まで球団代表を務めた。その後、球団顧問などを務め、2002年から関西国際大学で教鞭を執り、現在は名誉教授

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181218-00010001-flash-peo
    12/18(火) 6:01配信

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    http://npb.jp/bis/players/11313866.html
    野田 成績

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1545084437/

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