とらほー速報

プロ野球・主に阪神タイガースがメインです。 2ちゃんねるや5チャンネル、オープン2ちゃんねる、ツイッターなどからまとめてます

    門田博光

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

    引用元: https://nova.5ch.net/test/read.cgi/livegalileo/1674552934/


    1



    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2023/01/24(火) 18:35:34.41 ID:+RiYcSW/r
    門田博光さんが急死 74歳 プロ野球歴代3位の通算567本塁打

    https://www.sanspo.com/article/20230124-TFTCGO5IJFOIXIE3C2ZANH3JGI/

    4: 名無しさん@\(^o^)/ 2023/01/24(火) 18:35:56.37 ID:SfqWkQjz0
    うせやろ....

    続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/05/16(土) 20:58:24.28 ID:ZjW/MtOc9
    野球評論家の岩本勉氏(49)が16日放送のカンテレのスポーツ番組「こやぶるSPORTS」に出演。プロ野球史に残る珍場面「オリックスハイタッチの悲劇」の裏話を明かした。

    小籔千豊がMC、本田望結がアシスタントを務める同番組では、新型コロナウイルス感染拡大の影響で今季のセ・パ交流戦が中止となったことを受け
    「オリたちを忘れるな!」と題してオリックスの名・珍場面を特集。珍場面として89年9月25日、西宮球場でのダイエー戦での「ハイタッチの悲劇」が紹介された。

    この試合の三回に左翼線に31号ソロを放ち生還する門田博光外野手に対し、次打者のブーマー・ウェルズ内野手がホームベース付近で、笑顔でハイタッチ。
    しかし次の瞬間、門田は顔をゆがめてうずくまる。なんとハイタッチで右肩を脱臼してしまうという“悲劇”が起こった。試合は1-9で大敗し、門田は8試合を負傷離脱することとなった。

    岩本氏は「ブーマーは滑り止め(スプレー)を誰よりも付けるんです。それでお互いのバッティンググローブがへばり付いて、持っていかれた。それが真相なんですよ」と解説した。
    番組では身長2メートルのブーマーと170センチの門田氏では30センチの身長差があり、衝撃が大きかったことなども紹介した。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200516-00000103-dal-base
    5/16(土) 20:17配信

    https://image.middle-edge.jp/medium/03bcfd45-1e73-440d-9b5f-734e8a9a9f61.gif?1470393166
    no title

    no title

    no title

    no title

    no title


    https://www.youtube.com/watch?v=LhTOKdOYlec


    ブーマー(阪急・オリックス→ダイエー) 珍プレー

    https://www.youtube.com/watch?v=-ZTdMcJBFDg


    2017年4月30日 南海ホークス 攻撃開始?門田応援歌

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1589630304/

    続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1


    1: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/01/01(水) 18:39:25.18 ID:KaiVa5kJ9
    南海・ダイエーホークスの主砲として長きにわたって活躍した門田博光氏(71)。彼が「野球人生の分岐点」に挙げたのは、右足アキレス腱断裂から復活し、41本塁打を放ってカムバック賞に輝いた1980年シーズンのことだった。何が起きていたのか、門田氏に聞いた。

     * * *
     アキレス腱を切ったのは31歳の年(1979年)。キャンプ中のケガだったので、シーズンを棒に振りました。

     翌年もケガの怖さが残った。そこで“ホームランを打てば全力で走らなくていい”という発想で、長打狙いに切り替えたんです。トレーニングを重ねて、重いバットが振れるようになった時期と重なったことも大きかった。

     それでカムバック賞を受賞した1980年オフ、阪神の掛布雅之とのトレードが報じられました。球団に阪神ファンからの抗議が殺到して流れましたが、水面下では本当にあった話だった。

     当時はパ・リーグが不人気だった。南海では、“これだけ打ってもスポーツ紙で活字にならんのか〟と思ったこともありましたし、40本塁打を打って“ちょっとは給料が上がるかな”と思っても、雀の涙ほどしか上がらなかった(笑い)。人気球団でやっていたら……自分を試してみたかったという気持ちもあります。

     ただ、当時は32歳とまだ若かった。マスコミが踊れ踊れと報じるばかりに、自分を見失ってしまったり、プレッシャーに負けてしまった選手もたくさんいた。僕の性格だと踊らされないような気もしますが、浮かれてしまって、あれほど体をいじめぬくような練習量はこなさなくなっていたかもしれません。

     他の選手は打つ、走る、守るでお金をもらっていたが、ケガで足が使えない僕は打つだけでお金をもらっていた。アキレス腱断裂がなければ、DHのない阪神のトレードに喜んで応じていたと思います。

    ●かどた・ひろみつ/40歳になった1988年に44本塁打、125打点で打撃二冠に輝き「不惑の大砲」の異名をとる。通算567本塁打、1678打点は歴代3位。2566安打は歴代4位。

    ※週刊ポスト2020年1月3・10日号

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200101-00000015-pseven-spo

    11: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/01/01(水) 19:11:22.71 ID:Yq32Aika0
    >>1
    ホームランと打点が歴代3位、安打数が4位
    安打はもっと下の順位かと思っていた。
    「ホームランの打ち損ないがヒット」って言う人だから。

    4: 名無しさん@\(^o^)/ 2020/01/01(水) 18:57:08.64 ID:XLIXNbVa0
    ブーマーのハイタッチで肩脱臼することもなかったかもなあ

    引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1577871565/

    続きを読む

    このページのトップヘ